手作りバースデー

リリコのケーキ

リリコのケーキ

リリコとゴン太は誕生日が2日違いです。近いから、誕生日のお祝いをまとめたくもなりますが、子どもは自分の誕生日を特別な日として楽しみにしています。だから、それぞれでお祝いします。わが家は4人兄妹ですから、なかなか自分が主人公となる機会は少なく、その意味でも誕生日は大事です。1年のうちで唯一、問答無用で主人公となれます。

リリコ、4歳の誕生日には、ママとゴン太とチャコがケーキを手作り。リリコが大好きなディズニープリンセスをチョコでつくって、飾り付け。上と下に挟まれて、なにかと存在が薄れがちなリリコ。ふだんから、一生懸命自己主張していますが、この日だけは、皆がリリコに従います。

ゴン太がつくった人形

ゴン太がつくった人形

ゴン太は、手作り人形をリリコへプレゼント。トウコが着古した服を縫い合わせてつくったようです。男の子ながら、裁縫も大好きです。

ゴン太は、トウコの1歳の誕生日にも手作り人形をプレゼントしましたが、半年あまり経って、トウコの乱暴な扱いにもこわれず、その丈夫さにパパは感心しています。ふだん、妹たちをからかってはママに怒られているゴン太ですが、なかなかどうして、妹思いです。パパがそういうと、ゴン太は照れて、「リリコなんかきらいだ」って言いますが。

不思議なジュエルボックス

不思議なジュエルボックス

パパとママからリリコへのプレゼントは、「ディズニープリンセスシンデレラ 不思議なジュエルボックス」です。リリコはディズニープリンセスが大好き。アクセサリーをつけて、プリンセス気分。チャコがやきもち焼いてます。この日だけは、おねえちゃんのチャコもリリコにはかないません。

魔法のスティックを向けると、メロディーが鳴りながら、ジュエルボックスが開いたり閉じたりします。あまりにステキな世界に、リリコとチャコはうっとり。

ゴン太のケーキ

ゴン太のケーキ

ゴン太は、チーズケーキをリクエストしていたので、ママとチャコとリリコが特製チーズケーキを手作り。先日、童仙房山荘さんでとらせていただいたブルーベリーをふんだんにつかって、ゴージャスなケーキです。

ローソクは「91」ではありません。「9!」です。こないだ生まれたように思いますが、もう9歳。出産時にパパも立ち会いました。生まれた日のことを今でもはっきり覚えています。

トルネーダー

トルネーダー

パパとママからゴン太へのプレゼントは、ゴン太から強い希望のあった「リモコンで動かすアクロバットロボ トルネーダー」です。

ゴン太は、さっそく、トルネーダーを組み立てました。工作大好きのゴン太は、出来合いのオモチャよりも、自分でつくるオモチャを好むようです。つくる作業自体がたまらなく楽しいようです。難しそうに見えましたが、1時間ほどで完成。動作もバッチリです。じきに上手に操作するようになっていました。

わが家は、自然と手作りが多いです。なんといっても、住んでいる家、パソコン、おもちゃ、パン、味噌、石けん・・・。

Filed under: ほのぼの — momo 20:45  Comments (0)

鹿にぶつかった

鹿に衝突

鹿に衝突

あれは、月のない夜のことでした。私は仕事からの帰り、慣れた山道を車で走っていました。狭い曲がりくねった道なので、スピードは出していません。もちろん、人家もなく、人の気配はありません。あたりは漆黒の闇。そのときです。あのできごとがおきたのは!

車のすぐ前、左側、田の畦から大きな物が飛び出してきて、車に激突しました。そうです。鹿です!
急ブレーキを踏みましたが、鹿があまりに近すぎて、ドカン!
鹿は車の前でうずくまりました。死んではいませんが、なかなか起き上がれません。いったん立ち上がろうとし、よろめいて、車にドカンとぶつかってこけてしまいました。車がつぶれる!と思った私は少しバックし、車からおりてみました。


鹿、逃走

鹿、逃走

鹿は、殺される!とでも思ったのでしょうか。大慌てで立ち上がり、足を引きずりながら駆けていき、森へ入っていきました。歩けていたので、大事はないでしょう。

ここ数年、鹿が異常に増えて、年々被害が深刻化しています。とくに今年は例年にない状況です。田や畑はどんなに対策しても鹿にやられてどこの農家もたいへんです。わが家でも、毎夜、家のすぐ裏に鹿が出てきて、鳴いています。イノシシは警戒心が強いけど、鹿はどうもあまり賢くない。電気柵にあたっても、侵入をやめないし、ネットがあっても侵入をやめず、ネットに絡まって動けなくなって捕獲された鹿がいっぱいいるのに、学習しません。犬が近くにいてもわりと平気で出てきます。威しが効きにくいです。

一方で鹿は神様の使いとされているところもありますが、一般にはやっかいな悩みの種です。今のところ、鹿との共存も、鹿の防除も、決め手はありません。
それにしても、車は無傷でよかった~!
スピード出してなかったしね。

Filed under: わが家の事件 — momo 23:19  Comments (0)

子ども手当と、少子化と、田舎

嵐のような総選挙が終わって、政権交代が実現し、まだ新政権が発足していないのに民主党の政策が連日話題になっています。4人の子を持つ私が最も関心あるのは、何を隠そう、子ども手当です。

わりと批判も多いようです。子どものいない人には増税になるとか、高所得者にも渡すのはおかしいとか、財源はどうするんだとか。
別にね、私が要望したわけでもないし、民主党さんがやらはる政策やから、私が批判に答える必要はなし。とはいうものの、実現されるかどうか、ハラハラドキドキです。

現行の児童手当は、小学校卒業まで。わが家の場合、第一子、第二子が各5,000円、第三子、第四子が各10,000円の、毎月3万円を4カ月に一度、まとめて12万円ずつ銀行振込でいただいています。ありがたく頂いているのですから、文句をいうわけではありません。ただ、現実問題として、子どもにかかるお金としては、まるで足りません。

民主党さんの子ども手当は、来年が各13,000円、4カ月に一度、20万8,000円と、現行より8万8,000円アップ。
再来年以降は各26,000円、4カ月に一度、41万6,000円と、現行より29万6,000円のアップ。
ものすごい差です。
期待しないのがうそでしょう。

子ども手当に関する報道やネット世論を注視していますが、だんだん変わってきたように思います。社会全体で子どもを育てていこうというような意見が目立つようになってきました。
大和総研ホールディングスのレポートは深い指摘があります。

子ども手当には、子育て支援ではなく、一種の社会貢献活動としての意味があるのだ。
日本の社会保障制度は、一定数の子どもが生まれてくることを前提に設計されているため、子どもが減り続けると制度は崩壊してしまう。したがって社会を維持していくためには、国民全員で次世代の育成を行う必要がある。しかし、現実にはそれは困難であり、実際には一部の人が代表して出産・育児を行っている。その意味で現代の出産・育児は、警察や消防などの公務と同等の活動である、といってもよいだろう。
民主主義社会においては、社会を維持するために必要なコストを支払うのは国民の義務であり、国民は納税というかたちで貢献している。そして、そのカネで消防や警察などの公務を行っている人たちを雇っている。これと同様に、出産・育児をする人も公務に携わっていると見なせるため、税から報酬が支払われて当然ということになる。出産・育児をする人に、税金を使って子育てを委託しているわけだ。

たしかに、そういう発想でとりくまないと、少子化対策はできないでしょう。少子化が進行すれば、社会システムが破綻してしまうのは自明の理です。4人の子を持つ私は、偉大な社会貢献活動をしているのである!!

と、子を持つ親としての立場では思いにくいものです。他人がそう思ってくれるのはありがたいとしても、やはりわが子はかわいいわが子。社会に貢献する目的をもって生んだわけでもなく、育てているわけでもありません。児童手当があろうとなかろうと、子ども手当があろうとなかろうと、子どもたちを慈しんで育てていくことになんの変わりもありません。もちろん、子どもたちを、社会的責任を自覚し、社会の一員として生きていくよう、育てていかねばなりません。しかしそれは、親から見れば、社会の責任ではなく、親の責任です。親として責任を持つことが、子どもたちへの精一杯の愛情だろうとも思います。

ところで、現実として、日本の社会は、子どもを育てにくいです。私たちの身のまわり、友人知人には、3人以上子を持つ方が少なくありませんが、3人以上子を持つことが、日本の社会では歓迎されていません。子どもを責任持って育てていくには、膨大な教育費用がかかります。並の所得では、1人の子を育てることが、精一杯でしょう。さらに、親は子をちょっとでも離すと危険が襲いかかる世の中。親は最大でも2人なのだから、3人子がいては、この安全を守れません。私自身、3人目の出産の際には「まだ産む気?」という反応があちこちからありましたし、4人目の際には、祝福というより「何考えてるの?」「無責任」「子どもがかわいそう」といった、冷めた反応が多く、4人子を持つことは、社会貢献どころか、「親として責任を果たせる限度外の行為」という冷たい視線に対する開き直りでもあります。

1人っ子でもそうだと思いますが、子どもの数が増えるほど、子育てに対して不安というより、恐怖を感じます。今の日本社会は、子どもを持ってはいけない、子どもを育ててはいけない、ましてや親の数以上の子を持つなんてもってのほか、というメッセージを発しています。
民主党さんの子ども手当が、たんにお金の問題にとどまらず、子どもにやさしい社会に変えていってくれるような政策であることを願ってやみません。

わが家は、幸いにも、田舎で暮らしているので、子育てに対する恐怖はいくぶんマシです。もし都会に住んでいたら、4人も子を持つなんて、怖ろしくてできません。童仙房もぜったい安全とは言い切れませんが、家の外で、親の見えないところで子どもたちが遊んでいても、どうってことはありませんし、地域の方はうちの子のことをご存知ですし、うちの子も、地域の人をわかりますし、こけてケガするていどのことはあったとしてもそれ以上の危険はあまりありませんし、学ぶための素材、生きる力を身につける素材は盛りだくさんです。

田舎の不利な点は、第一に子どもが極端に少ないことでしょうが、都会の子も人間関係がひどく限定されていることを思えば、特段の不利でもなさそうです。地域社会に価値観の多様性が乏しいことの方が、致命的に不利な点です。地域外と積極的に交流する活動で補えるなら、都会も田舎も変わりはないでしょう。今は、インターネットがあるので、ずいぶん田舎のハンディは薄らいでいます。田舎のハンディとして、教育機会の貧弱さもあります。財政事情から統合は避けられず、自ずから、通学、教育内容が都会とは比べるべくもないハンディを負ってしまいますし、塾も遠い上に選択肢が少ないです。わが家はホームスクーリングを選択しているので、教育上のハンディはありませんが。

これからの、怖ろしいほど厳しい、予測不能な世の中を生きていくために、社会からの温かいまなざしを期待するよりも、自ら考え、自ら行動し、既存のレールをあてにせず、荒野を切りひらいていくかのごときフロンティアスピリッツこそが、子どもに必要な「生きる力」ではないかと思います。そのようなチカラを身につけさそうと思えば、都会よりも田舎の方が、じゃっかん有利かなと、子どもたちをみてはそう思います。

Filed under: 子育て — momo 23:20  Comments (0)

パパの工作

ホームスクーリング3年生のゴン太は、工作が大好きです。ダンボール、ペットボトル、紙、粘土など、なんでも材料にしてしまいます。乾電池、電池ボックス、銅線、豆電球、モーター、スイッチなど電子部品もたくさん与えてあります。

パパは子どもの頃、それほど工作に興味がなかったので、ゴン太の工作好きは、パパから見ても驚異的です。

しかし、ゴン太の工作好きは、もしかすると、パパ譲りなのかも知れません。ゴン太が1歳になった時、パパは今の家を自力で前面改築しました。そのあたりのことは、相楽ねっと家づくりのコーナーでレポートしています。じつはこのコーナー、けっこう根強い人気があります。

着工前

着工前

最近、子どもたちの外で遊ぶオモチャや道具が増えてきて、玄関に置いているけど、足の踏み場もないほどです。そこで、玄関前の、洗濯機と灯油タンクの間の空間を有効利用し、ここに物置を設置することとしました。

臭突(白いパイプ)と槽蓋は、ここに住んで2年間使っていた簡易水洗トイレのものです。今は水洗トイレ(合併浄化槽)に変えたので、この臭突と槽蓋は使用していません。散水栓は、洗濯機用のものです。洗濯機は、5年前に大きなものを購入し、室内で使っています。以前使っていた洗濯機を屋外に置き、汚れのひどい物用にしています。

既製品の物置を買うことも検討しましたが、都合良いものはないので、自作することに。

散水栓移動

散水栓移動


8月30日に、臭突を撤去し、散水栓を移動。家づくりで、水の配管も自分でしました。童仙房は水道がないので、井戸水です。配管の全てを知っていますし、写真として記録に残してもいます。既設のコンクリートを切断、破砕し、散水栓ボックスを取り出し、土中の配管を露出して切断、新設。移設先のコンクリートを切断、破砕し、配管後、ボックスを据え付けました。

一連の工程、ゴン太が興味津々に見ていました。

モルタル打設

モルタル打設


洗濯機の土台と同じ高さで基礎を作ります。型枠を組んで、モルタルを打設。

ゴン太は、ならしたいと言いました。コテを与え、ならさせてみると、意外に使いものになります。初めてコテを使ったくせに、けっこう上手です。ふだんから工作好きであれこれ工夫していることが生きているようです。

ここまでは、8月30日の話。

基礎

基礎


その続きを9月13日にしました。基礎はこんなふうにできあがています。この上に物置を造っていきます。基礎の上に差しを置いて、ああだこうだと議論して大きさを決めました。

ゴン太は、どうやってつくるのか、前日からわくわくしていました。「いつからつくるの?」って何度も何度も聞いてきました。

何もないところに工作物が出来上がっていく様子が、たまらない魅力のようです。

骨組み

骨組み


あり合わせの木を使い、骨組みをこんな風に作りました。家づくりの際の木がいくらか余っていたもので、それを活用です。設計図はないので、ひとつずつ考えながら、現物にあわせながらの加工です。

まさに、正解のない工作。ゴン太は作業を手伝いながら、どうやって考え、どうやって工夫し、どうやってつくっていくのか、興味津々でした。すぐに正解がでないとあきらめてしまう風潮は深刻な危機。正解がないのがあたりまえであって、粘り強い取組こそが、生きる力のはず。

Filed under: ホームスクーリング — momo 22:06  Comments (0)

正解のない教育

何のための教育であるかを考えるなら、人生を豊かに生きるため、という答えになるはずです。
人間は1人では生きられず、好むと好まざるとにかかわらず、社会の中で自分のポジションを見いだし、社会と関わり合って生きていくしかありません。

学校教育は、かつては(少なくともパパが子どもだった頃までは)社会と寄り添っていたはずでしたが、社会が激変しているのに学校教育は旧態依然として変わらず、両者の乖離が危機的状況となっています。官僚がたたかれている事実だけ見ても、学校教育のエリートが社会からかけ離れてしまっていることがうかがえます。

社会、すなわち実務、すなわちビジネスから、教育を眺めてみる視点が大切ではないかと思うのです。

そんな中、日経BPに「急募!考え抜く社員」という連載が始まりました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090907/204181/

おもしろいですね。我が意を得たり!
各記事に共通している視点は、「正解のない社会でどう生きるか」でしょう。まさにこれこそが、実務であり、生きる知恵であり、現実の生活に他なりません。かたや、学校教育では、常に正解を教えます。「常に正解がある」という発想さえ、幻想と言えるのではないかと思います。このことがいかに致命的であるか、すでに実務の世界からは警鐘を鳴らし続けているにもかかわらず、学校教育は脳天気なままです。

これこそが、私がホームスクーリングを選択している理由に他なりません。

夜の散歩というようなことを、夜の散歩がてら、ゴン太に語りかけました。小学3年生にはかなり高度な話題でしょうか。そんなことないです。学校教育から見れば高度かも知れませんが、生きる力からすれば、平易な話題です。正解が常にあるのだという価値観に固執するがゆえに、高度に見えるだけでしょう。

じっさいのところ、ゴン太はあっさりと理解しました。それは、ゴン太が投げかけてきた疑問をみれば明らかです。
「おとなたちは、わかっているならば、どうして学校を変えられないの?」

政治家も、官僚も、先生も、学校教育のエリートに他なりません。そしてまた、具合の悪いことに、政治も行政も先生も、社会から離れた世界で生きています。正解があるという幻想を信じて追い求めてきて、正解があるという幻想の上に地位を築いてきた人たちが、正解のない現実を受け入れられるわけがない。

そのことさえも、ゴン太はあっさり理解したようです。8歳のゴン太が頼もしく見えました。

Filed under: ホームスクーリング,学校教育 — momo 22:23  Comments (0)