
農水省の「田舎で働き隊」という事業が2009年に入ってあわただしく?始まりました。今、猛烈に全国展開しているようです。田舎からは人が減り、都市の人は田舎にあこがれるということから、「都市部等の人材を農村の活性化のために活用するための人材の仲介業務を支援することとする」そうです。
この事業に、私たち(仙の森を守る会)がエントリーしました。株式会社アミタ持続可能経済研究所さんがコーディネート役です。アミタさんのサイトにも事業の紹介があります。
2009年3月19~24日、研修生を6名、受け入れました。研修生は大阪2名、関東4名で、男性は2名、女性は4名でした。初日と最終日を除けば、正味4日。単純に言うと、体2日、頭2日です。

研修生に設定した課題は、「21世紀の里山はどうあるべきか」。もう少しくだいていうと、「仙の森の魅力をみつけること」に他なりません。仙の森は、ふつうの、どこにでもあるような、何の変哲もない雑木林です。そこだけ見れば、「いいな~、秘境だな~、神秘だな~、癒されるな~、心身がリフレッシュするな~」と、いいことずくめの、パラダイスのような感想がマウンテンなのですが、その感想は、別の森へ行っても、そのまま同じ言葉が出てきます。つまり、「いいな~、秘境だな~、神秘だな~、癒されるな~、心身がリフレッシュするな~」は普通名詞としての森に向けられるものであって、固有名詞である仙の森に向けられるものではありません。
そこんとこに、田舎の懊悩があるのです。田舎は自然が豊かで、牧歌的なノスタルジーをかきたてると思われています。なのに、田舎はさびれていく・・・
田舎は、自らを固有名詞で語るべきなのです。田舎は田舎であってはならないのです。能書きをたれすぎましたが、田舎(普通名詞です)は、自分が何者であるかを見いだせずにいるのですが、それこそが、最も深刻な地方の問題の原点ではないかと思っています。
アイデンティティとは、他者に反映して、つまり鏡に映した自分を見て初めて自分を認識できるように、田舎が固有名詞で自らを語るには、他者の目が必要であると私は頑なな信念を持っているのですが、それを、ずーずーしくも研修生たちに投げかけたのでした。
南山城村の大河原駅で研修生たちを迎え入れたわけですが、大河原駅に入ってきたJR関西本線は、単線であるのみならず、未電化。つまり、ディーゼル汽車。線路を走るバスみたいなもんです。研修生たちは、軽いカルチャーショック。駅からはるか山の上を見上げ、「今から、あの山の上へ行くで。高い山のてっぺんや。こう見えても、人が住んでるねん」と私。女性の研修生が、「来る前に、童仙房って、どんなとこかしらとグーグルアースで見たんですけど、山しか見えなかったんです。ほんとに人が住んでいるんですか? 母が大丈夫?って心配していました・・・」ってさ。あはは。
下から見ても見えない、上から見ても見えない。童仙房って、どんなとこやねん?
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