モモナナじぇーぴー - 学校神話

学校神話

行かないといけないから学校へ行く

 1995~1998年頃、不登校問題にどっぷり関わった時期があります。具体的には、「学校へ行かない親と子の会」(複数府県)、フリースクール運動、複数のフリースクール、不登校児の家庭教師、オルタナティブ教育の勉強会など・・・  不登校になると、学力が身につかず、社会性も身につかないという偏見を持っていた私には、衝撃的でした。

 学校へ行っていなくても、学力は並の児童よりすぐれている子が少なくありません。社会性も成熟している子が少なくありません。なのに、学校へ行けないということで、親も子も壮絶な苦しみの渦中にいます。

 学校へ行かないことで不利益があるなら、苦しむのも当然でしょう。しかし、当事者をみていると、不利益が見あたりません。では、その苦しみは何故生じるのでしょう? 答えは単純です。「学校へ行かないといけない」という先入観ゆえです。「学校へ行かないといけない」というのが事実なら苦しむのも当然でしょう。私も浅はかながら、そう思っていました。

 しかし、考えれば考えるほど、「学校へ行かないといけない」根拠はありません。事実、不登校の親子たちが問題を解決していく過程は、「学校へ行かないといけない」という思い込みを脱却する過程そのものでもあると見えるケースが少なくありません。  となると、学校は、何のためにあるのでしょう? いやいや、やはり学校は必要です。全国民に最低レベルの教育を保証するために、公教育は不可欠です。しかしそのことは、全国民が、単一の教育を受けねばならないという論理には結びつきません。日本国では、その混同があまりに多い。そのことが、深刻な不幸を招いている。

教育は権利であるのに義務教育

 どうして「学校へ行かないといけない」という思い込みが蔓延するかというと、「義務教育」という言葉に問題がありそうです。戦後の日本人は権利ばかり主張して義務を果たそうとしないという批判が根強くあります。私もその主張にはかなりの部分同意しますが、少なくとも「義務教育」に関しては逆です。なんでわざわざ、自分で自分の首をしめるような曲解をしてしまうのか、不思議でもあります。

 憲法第26条にはこうあります。

第26条 教育を受ける権利、義務教育 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 おかしくないですか? 教育は権利であって義務ではないですよ。教育が義務であったのは明治憲法での話。国に奉仕するために臣民を教育する。だから、「義務の免除規定」なんかもありました。現行憲法では、教育は権利です。だから、「教育の免除規定」なんかはあり得ません。義務教育というのは、親が子に「普通教育を受けさせる義務」なのです。普通教育であって学校教育ではありません。

 「普通教育」とは、職業教育、専門教育、特殊教育ではない一般的基礎的教育を意味するとされます。私のような素人が言っても説得力がないので、引用を。「普通教育は学校教育である必要はなく、憲法上は家庭で教育をほどこす自由があるというべきである(松井茂記氏『日本国憲法』有斐閣、489頁」)。

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