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ホームスクーリングの進め方

ホームスクーリング(homeschooling)は、ホームスクール(homeschool)、ホームエデュケーション( home education)、ホーム・ベイスド・エデュケーション(Home-based education )などと言われます。

定義は「学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うこと」をいうようです。

ホームスクーリング(Wikipedia)

ホームスクーリングの形態

主体

1.家庭

2.グループ(宗教、HSのネットワークなど)

ホームスクーリングと言えど、ひとつの家庭だけで完結するわけではありません。日本では、ホームスクーラーがかなり少ないので、田舎では同志を見いだすのが困難です。都市部では、探せばそれなりに同志が見つかるので、ホームスクーリングのネットワークもあります。ホームスクーリング仲間が集まって、共同でホームスクーリングを行うケースもあるようです。

ただし、親がホームスクーリングを選択するにあたり、特定の教育理論を大事にしている場合など、近いからというだけでホームスクーリングのネットワークに参加できない場合もあるでしょう。

 顔を合わせられる程度の距離でホームスクーリングのネットワークが生まれるのは、手作り型のホームスクーラーの場合が主となるようです。

子どもへのスタンス

1.子ども自発型

2.大人主導型

3.ほどよい関係型

子どもには生まれつき向上しようという本質があり、大人がそれを曲げてしまうことが問題であって、子どもの興味・関心・成長進度にあわせて、大人は成長をサポートすべきである、という考え方もあります。この考え方でいくと、大人が指導や授業をするのは好ましくないということになります。サマーヒルなど、徹底的に子どもの自主性を尊重し、成果をあげているケースもあります。そのような教育観をもってホームスクーリングにのぞむ方も少なくありません。

サマーヒル(Wikipedia)

かたや、何も教えず指導せずにいると、子どもはまっすぐに育っていかない、という考え方もあります。学校教育がそうでしょう。ホームスクーラーの中には、この部分について、学校教育と同じように考える方もいます。そういう方針の場合、ホームスクーリングにおいても、時間割や課題があり、教科学習の教材を用い、親が勉強を教えていきます。

第三の形態は、子どもの自主性も重んじるが、時には大人の立場で語り、接し、導き、勉強のしかた、社会性を親も子も共に、あるいは親が教えつつ進めていくものです。いっけん、ふつうの親子関係のようですが、何らかの教育理論には該当しにくいですし、中途半端で優柔不断に陥る危険もあるでしょう。

ホームスクーラーの中には、「子ども自発型」を重視される方が目立つように思います。この形態をアンスクーリングと言います。「保護者が子供に何を勉強するのかを命令するのではなく、子供自身が興味を持つことを深く探求していく手助けをするという、子供の興味に基づいて行う教育である」と説明されるように、学校教育のあり方と対峙するものと考えられます。だから学校教育を否定するかどうかは、個々の価値観次第ですが。

アンスクーリング(Wikipedia)

「ホームスクーリング=アンスクーリング」と見る方もいますが、2あるいは3の形態はアンスクーリングとは言えません。ちなみにわが家は、アンスクーリングの考え方をとても支持しますが、大人主導型を否定し排除する考えもありません。学校教育にはアンスクーリングの視点はほぼないといってもいいでしょう。その意味で、アンスクーリングを重視することはバランスがとれていると考えますが、アンスクーリングの考え方だけで全てがうまくいくかどうかには懐疑的でもあります。

「親の背中を見せる」という考え方は、アンスクーリングとは趣を異にするでしょう。これは、親が生き様を見せて子を圧倒するものでもあります。問答無用で子を叱ることも、威圧することも、あるときは必要ではないかと考えます。日常的にはあまり怒りたくないですが、大人の本気を見せることも大事でしょう。

勉強の仕方

 1.教科学習重視型

2.体験重視型

3.教科学習・体験併用型

勉強とは何であるか、という教育観にも左右されます。国語・算数・理科・社会という学校教育の教科学習は、すばらしく体系化され、大事なことを過不足なく習熟することのできる仕組みです。ホームスクーリングにおいても、その仕組みをモデルとする方は、少なくありません。前項1、2、3いずれにおいても、ありえます。

いっぽう、教科学習は知識の断片化であり、生きる知恵から切り離された「生かされない知識」であって、生きること(実践)の中で身につく知識こそが本物であるという考え方もあります。そのような教育観においては、教科学習は重要ではなく、体験を重ね、深めることを重視します。この考え方は、学校教育からみると、奇妙で不思議で信じがたく、子どもをスポイルするものであると見えがちですが、ホームスクーリングのみならず、オルタナティブ教育には広く、普通に見られる教育観です。この教育観の実践例は日本ではあまり多くないものの、欧米ではかなり多く、子どもに有意であるかどうか、検証が可能ではないかと思われます。(私は寡聞にして、体験重視型で育ったケースを多数集め、広い角度から検証した報告を未だ存じません)

一時、日本でゆとり教育が進められたことがありました。それは、教科学習を減らして、総合的な学習という体験型の学習を組み入れるものでしたが、教育現場、保護者から強い反発が出て、撤回された経緯があります。となると、学校教育は体験型を否定し、排除する指向があると想念されますが、ゆとり教育時代のみならず、学校教育はさまざまな形で体験学習を組み込もうとしては定着せず、というパターンを繰り返しています。となると、学校教育は、総論として体験学習を併用したいが、各論として体験学習が排除されるとなるのでしょうか。学校教育の宿命なのかもしれません。

わが家の場合

わが家では、家庭を主体とし、子どもへのスタンスは、アンスクーリングと大人主導の折衷型をとり、勉強は、教科学習+体験学習併用型を進めています。

体験型の学習が非常に重要であり、これを組み込めない学校教育は教育の重要な相が大きく欠落していると言わざるを得ません。かといって、学校教育の体系化された知識は、体験からすべてを習熟可能であるとも思えません。ゆとり教育がそうであったように、併用型は、一歩間違うと迷走しかねないリスクはあるだろうと認識していますが。

 わが家が特定のグループをつくって教育を進めていない理由は、田舎なので同志を見いだしにくいことと、特定の教育理論に特化することを避けたいことがあります。

とはいえ、わが家の形態の場合、確固たる拠り所は親の教育観のみであり、いきすぎると独善に陥り、いき足りないと優柔不断に陥るだろうと、いつも夫婦で自己検証を怠らないように心がけているつもりです。

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