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about創造の力とは?2.多様性が、創造の鍵なぜ神様は人間を不完全に作ったか?私はキリスト教徒ではないので、キリスト教の神を信仰しているわけではありません。しかし、キリスト教にも、その神にも、敬意をもっています。 神が人間を作ったことが科学的事実であると信じているわけではありません。でも、人間がどうにかして誕生し、今日、存在していることは事実ですし、人間がきわめて不完全な存在であることも、事実と言ってよいでしょう。私は、自分の意志で私を作り出したわけではないので、神であろうと自然であろうと、私以外の「何か」が私を作り出したということになります。まあ、それを神と考えてみましょう。 ![]() 神は、全知全能とのことですから、どんなことでも可能なはずです。じゃあ、どうして、もう少しマシに人間を作らなかったのでしょう? 人間が悪いことを考えたりしたりするように作っておいて、「悪いことをしたら地獄に落ちますよ」なんて、あんまりじゃないっすか。 人間には、悪い心があり、苦しみや悲しみがあり、不幸があります。神様って、ぜんぜん全知全能とちゃうやんか!! と言いたくなりますよ。もしかして、人間は失敗作? だったら、なおのこと神様は全知全能ではないことになりませんか? 不完全であることが、最高のgiftでは、神様が存在して、そのかたは全知全能だとしましょう。神様に似せて、人間を全知全能に、完全な存在として作りました。と、しましょう。 ん? 全知全能の存在がいっぱいいて、どーすんの? 何も起きないし、何も動かないし、そこに神様がいることさえ、意味がないのとちゃいますか? 神様がなにか「仕事」をしようとしても、するべき仕事が何もないです。すべてが完全だったら、何を「創造」しようというのです? 何も必要ないし、創造という仕事さえ、無意味で必要ないではないですか。神様、退屈でしょう。といってくれる存在さえないでしょう。みんな完全なのですから。 それって、神様の価値がないのと同じではありませんか? いやいや、神様は尊いはず。でも、みんなが完全だったら、何が尊いの? ![]() あー、くだらない。完全って、なんて無意味でつまらないものなのでしょう! あほらし。やめまひょ。やっぱ、不完全がいいっすよ。 私たちは、あまりに不完全です。とても、ひとりでは生きていけません。自分にできることはあまりに小さいので、他の人々と力を合わせねば、したいこともできません。が、人間は不思議なもので、じょうずに協力し合うと、とてつもない大きなことが可能です。 私たちは、1人1人がみな違うようにできているので、必ず、私にしかできないこと、私しか知らないこと、私しか体験していないことがあります。 あなたがいなくなっても世界が壊れたりはしません。世界が光を失うこともないでしょう。あなたがいなくても、太陽は、東から昇り続けるでしょう。 しかし、あなたがいることで、さらにいっそう、世界は価値を増し、輝きを増し、可能性を増します。あなたが世界に参加することを、世界は強要していません。あなたは、世界に参加しないことも、退場することも、選択できます。しかし、世界は、あなたが世界に参加しようという意志をもつことを望んでいます。 その証拠は、人類がそれぞれがあまりに不完全だということです。つまり、不完全な参加者が多ければ多いほど、価値が増す仕組みとなっているのです。 その仕組みを神が作ったか、自然にできたかは、知りません。もし、神が作ったのなら、あまりに「完璧」なお仕事ではありませんか。 多様性が過小評価されている「多様性」というキーワードが注目されだしたのは、20世紀末ごろだと思います。大量生産、大量消費の画一的文明が行き詰まってきたことと、人々の価値観が多様化してきたこと、さらに、異質な存在を認めていかねば平和や共存が危ういと気づきだしたことなどがあるでしょう。 しかし、多様性を認めるとか、受け入れるとか、「違いがあってもいい」といったスタンスは、じつに消極的で多様性を粗末に扱っているように見えてなりません。 ![]() 多様性は、価値を生み出したり、尊さを生み出したりするために、なくてはならないものなのです。というか、多様性が価値を生み出すのであり、多様性以外の何かが価値を生み出すわけはありません。つまり、創造とは、多様性のことなのです。 私たちは、不完全です。だから、皆が皆、何かの問題をかかえています。どんな大富豪でも、どんな権力者でも、かならず問題をかかえています。私たちの問題は、無限に多様です。あなたの問題と私の問題は、共通部分があるかも知れませんが、同じではありません。 私たちは、あまりに不完全です。だからこそ、誰かが誰かの問題を解決できるのです。私が私の問題を解決することはできません。もしできるなら、それは問題ではありません。私に私の問題が解決できないから、私にとっての問題なのです。でも、世界中の誰かが、私の問題を解決できるか、解決方法を知っているか、ヒントを知っているはずです。でも、その人にとっては、私を救う手立てを「何の価値もない」と思っているかも知れません。 多様性とは、このように、何かと何かがうまくいくようにできています。「何か」単体では、価値をなしません。 多様性は、世界の宝です。誰にでも、多様性の一端があります。では、どうやって、それを活用していけばいいでしょう? |