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モモナナじぇーぴー 創造の力

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創造の力とは?

  

5.世界を救うというミッション

「世界は1つ」でないなら・・・

世界は1つです。これは、誰にとっても、真理です。でも、私たちは、無限の多様性の中で生きています。無限に多様であるということと、1つであるということは、根本的に矛盾するように見えますが、どちらも現実です。

議論

もし、「世界は1つである」という真理がなく、ただ無限の多様性のみがあるとすれば、どうなるでしょう? 私たちひとりひとりの人間は、お互い、別の存在であって、利害がからむときだけ、協力すればよく、他人のために何かすることは、私にとっての損害です。無意味です。世の中の仕組みや出来事も、自然界も、バラバラです。互いの関連やつながりはあったりなかったりするでしょう。そうなると、現実の世界が明日もこのままあるという保証はないわけです。明日は地球がないかもしれません。私が何かの努力をしても、他の存在や人々や自然は、私とは別なので、努力でどうにかなるものでもありません。

ずいぶん刹那的で、自己中心的で、殺伐とした世界ですね。でも、これって、現在の多くの人が信じ込んでいる「競争原理」そのものではないでしょうか。世界は競争原理が真実であって現実だと考えている人も多いです。

競争原理を現実だと信じる根拠は、何でしょうか? 競争原理とは、多様性だけを見て、世界は1つであることを見ないことで、生じます。

もし、このような世界が現実ならば、世界はバラバラとなり、1日たりとも、いや、1秒たりとも、世界として存在することはできないでしょう。それでも存在するなら、あなたは、あなた自身を全知全能の神だと思っているのでしょう。全体を1つにする法則も仕組みもなく、それでいて現実世界が存在しており、科学で解明できるような仕組みや法則がある。こんな不可解なことが起きるなら、乱暴な神が思いつきで世界をつくり、行き当たりばったりで、そのときの気分次第で世界を動かして遊んでいるのでしょう。

世界の現実は
地球

しかし、世界は美しく調和しています。J.E.ラヴロックが『ガイアの科学 地球生命圏』や『ガイアの時代』などで述べておられる持論は、「地球は生命体である」ということです。生命の定義を、「エントロピーを減少させる働き」としています。簡単に言うと、自然の成り行きにまかせていては起きないような現象が、エントロピーの減少だとなるでしょうか。

現在、大気中の酸素濃度は、約21%です。これより少なければ、生物が十分に活動できず、多ければ、大火災が生じてしまいます。こんな微妙なラインが維持され続けているのは、なぜでしょうか? 地球上には、無数とも言える生命が存在し、それぞれ活動しています。なのに、酸素濃度は長期間にわたって同じ数値を維持され続けています。自然にまかせていれば、数値が変動するはずです。まるで、精密なコントローラが管理し、地球上のあらゆる生命活動を調整しているかのようです。

海水の塩分濃度もそうです。なぜ、はるか昔から、一定の数値が維持されているのか。山から塩分が溶け出て海へ流れ込んでいるなら、海はだんだん塩辛くなっていくはず。そうなりません。いったい、誰が管理しているのか。または、どんな仕組みがそこにあるのか。

生命は、進化を続けています。進化について、様々な学説が立てられていますが、間違いなく言えることは、生命の誕生時点より現在まで、生命は一度も絶えたことがなく、進化を続けてきたと言うことです。その間、何度も大絶滅を繰り返しています。最大の大絶滅は、恐竜の最後(6500万年前)ではなく、2億5000万年前です。地球上の生物の90%が絶滅したとも言われます。これは、人類が作り出すことのできないような大変動でしょう。世紀末や人類滅亡どころではありません。それでも、生命は途絶えず、進化を続けてきています。それどころか、大絶滅は、大進化の契機となっています。

神?

このような世界に、人智を超えた、全知全能の「神」を想定したくなるのは理解できます。

世界は、あらゆるものが、ちょうどいい具合に関わり合っています。関わりだけでは見えにくいのですが、世界は進化や成長を生み出し続けています。進化も成長も、その正体は、多様化です。多様性が増大することが、進化や成長と同じことのようです。

多様性の増大により、より複雑に、より高度にと、世界が成長していきます。そして、世界は、じっと静止していません。多様性が、たえず生住異滅の変容と変動を続けています。世界のあらゆるものが変わり続けています。それでいて、世界は壊れるどころか、ますます美しくなっていきます。

ゴミの山

人類が地球を傷つけているという自己批判があります。地球の歴史を見ると、人類が地球に対して行っている行為は、地球から見ると、屁の突っ張りにもならないのではないかと見えます。じゃあ、環境破壊や戦争、核問題は、このままでいいのか?というと、それは困ります。困るのは、地球でなく、われわれ自身なのです。人類は、人類を破壊することはできても、地球を破壊することはできないのではないかと思えます。われわれも、しょせん、世界の多様性の一端に過ぎないはずです。

しかし、人間には、「意志の力」があります。これは、神に匹敵する能力ではないかと、思います。

「世界は1つ」を生きるには

人間以外の生物には、「意志の力」がありません。思考能力や感情はあるかもしれません。しかし、意志はありません。意志の力とは、選択の力です。全ての生物は、環境に合わせて、生存本能に基づく選択をしています。

道

人間は、あえてリスクのある不利な選択をすることが可能です。そのような選択をするのは、不利に見えても、大きな成果が得られることを望むからです。大きな望み無しに不利な選択をすることはあり得ません。

大きな願望を、どうしても達成したいと切望するとき、人間は危険で不利な道を選択できます。そこにこそ、創造が待っています。

安全で無難な道には、創造はありません。創造を「神の力」というなら、神の力とは、選択に他なりません。世界は無限に多様だから、選択が可能なのです。そして、世界は1つだから、大願が成就できるのです。

世界を救うというミッション

創造を神の力だと見るなら、創造すべき未来、すなわち、大願は、神の願いだということになるでしょう。人類はそのように理解してきたはずです。神の願いは世界を救うことであり、神の仕事は世界を救うことに尽きます。私たちも、そのように生きるとき、MAXに能力が発揮でき、幸せが訪れるのではないでしょうか。

ところで、神の正体は、世界そのものではないかと、私はお話ししました。すると、妙なことが起きます。救う神と、救われる世界が同じ、つまり、救う側が救われる側なのだということになってしまいます。これが、「世界は1つであるがゆえに、無限の多様性をもつ」という現実を作りだしているのではないでしょうか。

私は、「世界を救うというミッション」が最も肝心なのではないかと考えています。神の願いの言い換えとも見えるでしょう。それだけではありません。私たちは、無限の多様性の中で生きているので、「違い」に目が行きがちで、自分さえ良ければいいという自己中心的な視点に行きがちです。それが競争原理をもたらし、私たち自身を生きにくくしてしまっています。

力を合わせる

競争原理は、現実の姿ではありません。世界は1つであるということを生きるには、「1つである」を根本に据えなければなりません。何かを救い、他は無視するという視点は、全てが競争原理です。私たちは、世界のある部分にしかかかわることができません。しかし、「それだけ救えばいい」と考えるのと、「それを救う」と考えるのとは、天と地ほどの差があります。世界を救うというのは、世界の全てを救うことではなく、「世界の一部だけ救えばよい」という視点を超えるという意味です。

世界は1つであるがゆえに、無限に多様です。すなわち、救うことと救われることとは、同義です。「世界の一部だけ救えばよい」というのは、じつは何も救わず、ただ略奪にすぎません。略奪することは、略奪されることと同義です。

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