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「創造の力」への道のり

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2.田舎溶解は何が原因か

わが家がいくら経済的に成功しても、地域が消滅しては生きていけない

深刻な問題です。

わが家が童仙房に住み続けて努力することに意味がありません。わが家が、じゅうぶん生活していけるほど収入を得られたとしても、地域がなくなっては、山の上の一軒家です。それは、現実的ではありません。

5年後なら、まだ地域は消滅していないでしょう。10年後はだいじょうぶ? 20年後は? 30年後なら・・・もうないでしょう。現在、60歳以上の人は、30年後にはほとんどこの世にいないはず。現在、50歳代の人は、30年後には80歳代です。40歳代の人なら、70歳代。40歳未満の人は、きわめて少ない。30年後を待たずに、地域が消滅してしまう可能性が、極めて高いです。10年後でも、集落の維持は困難ではないだろうか。童仙房は、いくぶんマシな方で、他の集落は、もっと危機的です。

やはり、都市へ出た方が良いのではないだろうか。

田舎の衰退の過程を分析すると・・・

日本中で同時進行のように起きている田舎の溶解減少は、どこに原因があるのでしょう? それを考えてみる必要があります。現状を把握しないまま、あわてふためいた行動に出ても、へたをすれば自殺行為になりかねません。

田舎の衰退は4つの段階に分けられると思います。

4つの段階

2001年から、衰退が目に見えるようになってきました。公共事業がムダと言われ出したのは、このあたりでしょう。田舎では、農業と建設業は、ほぼイコールです。産業は別なのですが、従事している人々が、おおむね重なります。農業に対する安定した副収入が土木作業なのです。農家戸別補償と言わなくても、土木作業がその役目を担っていました。

土木作業が削減されると、てきめん、農家はこたえます。とはいえ、まだ影響は限定的で、じわじわ表面化してきました。

2005年あたりを境に、一気に加速します。ここからの加速があまりに急激なので、第3フェーズをさらに詳しく見てみます。

第3フェーズ

最初に影響が現れたのは、地域の商工業者でした。地域住民のサイフのひもが固くなると、そこへ依存している商工業者が激しい影響を受けます。つづいて、やはり建設業者が倒れていきました。そして、農業者です。

公共事業が削減されたことの影響は甚大ですが、それだけが原因でもなさそうです。田舎の工場が海外へ移転したり、農産物の価格下落など、ものづくりが全体的にダメージを受けています。

構造を分析すると・・・

公共事業削減だけで、ここまで田舎が壊滅するとは思えません。もう少し、視野を広げてみましょう。

かつて、都市と田舎は、持ちつ持たれつの関係がありました。食糧や燃料や木材の供給と消費。工場立地と、労働力供給。だからこそ、田舎に公共事業などの再配分を行う意義がありました。

どんなに都市へ若者が出ていっても、田舎に残る者は、残っていました。そして、それなりに成り立っていました。

かつての田舎と都市

が、2005年以降は、日本の都市は、海外の田舎と関係を築いています。日本の田舎は、はしごをはずされた格好です。もはや、日本の田舎の存在意義はかなり縮小しています。里山保全や、循環型社会や、生物多様性などと理念を並べたところで、価値を提供できなければ、維持できません。

そうすると、日本の都市が、田舎へ再配分する大義がなくなってきます。日本の国家は、多くの田舎に消えても良いというメッセージを送っているようです。

現在の田舎と都市
結局、田舎の問題は・・・

田舎崩壊の問題は、不景気や公共事業削減などといった小さな視点では把握しきれない、世界構造の問題であるように見えます。

これらを整理すると、

1. ものづくりの限界
2. 依存型体質

の2点に集約できそうに思います。

世界がシームレスにつながってくると、どこで作ったモノをどこで消費することも可能です。日本の田舎でなければ作れないモノは、農産物を含め、ほぼないでしょう。だったら、コストの安いところで生産する方が、理にかなっています。そして、都市の消費者も、そのような購買行動をとっています。日本の田舎の商品を選んでいるわけではありません。

日本人は、伝統的に、個人より集団を大事にする価値観を持っています。都市文明では、やや薄れつつありますが、田舎では、まだ根強く残っています。それは、大災害時に見られるような、美しい道徳規範でもあるでしょう。なくすべき文化であるとは思えません。

しかし、時代の変化へは、きわめて脆弱です。「お互い様」は、切り口を変えれば「依存体質」につながります。行政への依存です。何かしてくれるのを待つ。それが早く起きるよう、陳情や要望を繰り返す。

で、わが家の決定は・・・

となると、田舎でがんばっても、無意味なようですね。

しかし、上の構造をよく見ると、田舎だけの問題にとどまりそうにありません。すなわち、

1. ものづくりの限界
2. 依存型体質

は、田舎だけでなく、日本が抱える問題そのものに見えないでしょうか。すなわち、現在、日本全体で生じている問題や閉塞感は、この2点に突き詰められないでしょうか。

ならば、都市へ脱出しても、一時的な解決先送りにはなるかもしれませんが、根本解決にはならないのではないでしょうか。

かといって、田舎に残って、どうにかなるものなのでしょうか?

地域の消滅を消滅させ、わが家も発展していけるような展開がありうるでしょうか?

それを選択するのは、家族を道連れにしかねません。父親としては、選択できません。が、妻と子どもたちは、その選択を主張しました。だからといって、選択の責任を家族に持っていくわけにはいきません。父親として、家族に対して全責任を追います。

なんども確認しました。家族は、逃げずに前進することを選択します。いいでしょう。私は、覚悟を決めます。

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