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「創造の力」への道のりプロフィール5.「創造の力」を見出す古典文学も宗教も・・・成功哲学をたくさん見ていると、ビジネス書というより、宗教か、あるいは古典文学のように見えてきます。宗教も、ある意味では、神話か古典文学と見なせると思います。神話、宗教、伝説、伝承、昔話、文学作品など、古くから伝わるお話をとりあえず「古典」としておきます。 世界中に様々な古典があります。成功哲学は、主にアメリカでつくられたものですが、その内容は、世界中のどんな人々にも通用するでしょう。もはや、アメリカ的な価値観を越えた概念です。すると、世界中の古典と、非常に通じ合うように見えてきます。 世界中の古典は、人類の知恵という資産ではないだろうか。そんな思いがこんこんと湧いてきます。宗教どうしの対立も、大局的に見ればおかしな具合で、いったい、何と何がかち合うというのでしょう? 見れば見るほど、何も違いがないように見えてきます。 神話に共通する「ヒーローズ・ジャーニー」アメリカの神話学者、ジョゼフ・キャンベルは、世界中の神話を研究し、共通するパターンがあることを発見しました。それを「ヒーローズ・ジャーニー」という体系として発表しました。 天命を受け、旅に出ます。やがて、とてつもなく大きな問題(敵または困難)に行き当たります。自分の力では越えられそうにありません。そのとき、メンターに出会い、問題解決に必死に取り組みます。そして、問題をみごと解決し、それと同時に、自己変容(成長)を果たします。最後は、元の場所へ戻ってきます。 これは、神話のみならず、映画やドラマや文学作品のかなり多くがベースとしているパターンです。パターンは1つでも、描き方が様々なので、まったく違うストーリーに見えるのです。 これが世界中で古今東西共通しているなら、真理を現しているとは考えられないでしょうか? ヒーローズ・ジャーニーのクライマックスシーンは、まさに「どたんば哲学」そのものに見えます。 創造の力成功哲学をベースに研究を始めた私は、対象を成功哲学から、古典へと拡大させていきました。やがて気がつきましたが、成功哲学とは、新しい概念ではなく、古典を現代風にリメイクしたに過ぎません。古典に見られない要素が、何も見あたりません。 古典は、比喩的で、抽象的です。私たちの日常の現実に適用するのは、あまり容易ではありません。それをわかりやすく改めたのが、成功哲学と言えそうです。 であれば、古典を研究すれば、成功哲学でもじゅうぶんくみ取れていない真理がまだあるのではないか。 私は、あくまでも「1つの真理」を追求しました。というのも、人間は、2つのことを同時にはできないからです。どたんばのみならず、いつでもどこでも通用する真理です。 「普遍的な真理」は、ある意味、危険でもあります。その真理にあてはまらないものが否定されてしまうからです。何かを「正しい」とするなら、そうでないものは「間違い」となります。正義があれば、悪があります。このような決めつけが、過去にどれほどの不幸をもたらしたでしょうか。 もし、世界に1つの真理があるならば、どんな間違ったものでも、悪でも、不幸でも、その真理は排除しないはずです。その真理を、「創造の力」と名づけました。「どたんば哲学」は、「創造の力」の1局面です。「創造の力」については、こちらをご覧下さい。 長い長い、自己紹介を最後まで読んで頂き、厚く御礼申し上げます。 |