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モモナナじぇーぴー 創造の力

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「創造の力」への道のり

プロフィール

  

1.現在まで

簡単な自己紹介は、こちらをどうぞ。
お時間の許します方は、以下をごらん頂けますと幸いです。
山の上の集落

はじめまして。内藤浩哉と申します。

現在、京都府で唯一の村、南山城村に住んでいます。南山城村は、京都府の南東の端にあり、滋賀県、三重県、奈良県と接しています。関西の中心とも言えそうなポジションですが、じつは、田舎です。南山城村は、中心あたりを東西に木津川、JR関西本線、国道163号線が走っています。村の北部に、童仙房という集落があります。じつは、この童仙房、しょうしょう風変わりな土地なのです。

近畿地方

木津川付近から北部を見ますと、山しか見えません。そうなんです。童仙房は、この山の上にある集落なのです。下から見ると、どう見ても人間が住んでいそうには見えません。ところが、山の上に上がってみると、平地が広がっており、山の上には感じられません。のどかな田園風景です。不思議なことに、この山の上に、田んぼも畑もあるのです。童仙房から下界を見おろすと、冬の朝には雲海が広がっています。

山の上 雲海
開拓の歴史
開拓碑

童仙房は、田舎でありながら、歴史は浅いのです。明治時代の初期に、京都府の開拓事業によって拓かれ、人が住み始めたのです。アメリカよりも新しいフロンティアということになります。どんなに古い家でも、明治以降の歴史です。地域の文化や行事は、すべてが、明治以降のものです。

童仙房の人たちは、何もないところに家も畑も地域も創り出してきたので、伝統的に、自分たちの力でどうにかしていく風土を持っています。

日本の急成長と、私の成長

自己紹介の始まりに、地域の紹介をさせて頂いたのは、わけがあります。

私は、童仙房の生まれではありません。1964年に大阪で生まれました。1964年と言いますと、東京オリンピック、東海道新幹線開業という節目の年でもあります。戦後から、高度経済成長へ。その前後に、名神高速道路も開通し、日本初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンができました。まさに、日本の急成長の先駆けとなる時代です。

その象徴である千里ニュータウンに、第一期で入居しました。生まれた年にです。高校を卒業するまで、千里ニュータウンにおりました。千里の万博は、小学校1年生の時です。家からすぐ近所のことで、世界が一変したことを記憶しています。私の生い立ちは、田舎と対極にあるものでした。

じつは、万博の年、つまり、小学校1年生時に、私を産んだ母は、病気で亡くなっています。翌年、父は再婚し、優しい継母に育てて頂きました。

高校卒業後は、大学入学と同時に、親から離れて暮らしました。大学卒業後、出版社で3年間、編集の仕事をしました。仕事は非常にやりがいがあるのですが、なかなか大変な仕事でして、体をいためたこともあり、3年で退職し、しばらく休養しながら、人生をリセットしようと、あちこち訪ね歩きました。

童仙房との出会い

そのとき、偶然、童仙房に出会ったのです。とくに田舎暮らしをしたいと思っていたわけではありませんが、この地に足を踏み入れたとたん、強烈なインスピレーションを感じました。10秒で、「ここに住もう」と決めました。

とはいえ、縁もゆかりのない土地です。なんどもなんども通って、地域の方々とお話しさせていただき、やがて、童仙房の建設会社で仕事をさせていただけることとなりました。いわゆる「どかた」です。

なにしろ、都会生まれの都会育ちという、セテ〜ボ〜イですから、右も左もわかりません。田舎の方々を先輩とあおぎ、丁稚奉公のごとき立場からのスタートです。最初は、毎日片道2時間かけて「通勤」しながらの土方です。そりゃ、たいへんですって、あなた。

でも、ここの人たちは、たいへん温かく、こんな私でもなんとかかんとか続けることができ、3ヶ月もしますと、社長さんが、土地を用意してくださって、「何でも好きなもん建てて住んだらええ」って言ってくださいました。そこで、プレハブを組み合わせた「仮の宿」を建てて、1992年3月から、晴れて、童仙房の住人となりました。

仙人から、父親へ

当時は独身です。紅顔の美少年が、ひとりで山奥に住んで土方をしています。ずいぶん奇異な目でも見られましたが、ありがたいことに、童仙房の方々は、やさしいです。土方は3年続け、土方を減らしつつ、家庭教師やパソコンの仕事などをするようになっていきました。

まだ、世間でインターネットをしている人が少なかった1996年、私はすでに山奥でインターネットをしていましたが、たまたまネットで知り合った東京のOLと結婚したのが1999年。以後、4人の子に恵まれました。2001年には、古民家を自力で改築し、「自作の家」と言えるような家屋に住んでいます。

「教えない」という学び方

さて、2006年春、童仙房にあった小学校が統合されて廃校になり、わが子たちをどうするか、と考える機会がめぐってきました。学校教育が、現実の社会と齟齬をきたしてきていることは感じておりましたが、さて、わが子を普通に学校へ行かしたものかどうか。ずいぶん夫婦で話し合った結果、ホームスクーリングを選択しました。

わが家では、「教えない」教育を基本としています。勉強はします。でも、一方的に教わるというあり方は、自分で考え、課題発見し、問題解決する能力が育たないでしょう。教材やツールは、ふんだんに与えています。しかし、誰も教えません。子どもたちは、自ら考え、自ら学ぶということを、日々続けています。これは容易ではありません。もちろん、親は、アドバイスをしますし、できる限りの支援をします。

子どもたちは、学校教育よりもホームスクーリングの方が良いと、言っています。

3つの、創造的な活動

2006年の廃校と同時に、京都大学大学院教育学研究科と童仙房が、協定を結んで生涯学習活動を始め、今も継続しています。同時に、大阪の生協「生活クラブ生協大阪(旧、アルファコープ)」も、組合員の親子の野外活動として、童仙房で継続して活動しています。2008年からは、積水化学グループが、森林保全活動を童仙房で開始しました。これらはいずれも、継続中です。そして、私が関わり続けています。

こういった活動は、いずれも、モデルのない活動です。それぞれ、試行錯誤で創りあげてきました。まさにこれらも、「自ら創りあげる学び」であったと言えます。わが子たちも、この3つの活動に、参加しています。はからずも、実践的な教育となっています。

ずいぶん長い自己紹介ですね。つきあってくださって、ありがとうございます。

このサイトのコンテンツに関わる部分は、これからです。とはいえ、これまでお話ししてきた部分は、蛇足ではなく、すべて、関係あるお話なのです。

田舎の衰退

田舎の過疎化は、ずいぶん前から言われておりますが、まあ、それほど深刻な問題と言うほどでもありませんでした。私が童仙房へ来た頃なんて、若い人も多く、活気に満ちていました。「村おこし」という言葉は、お祭りやイベントと同義ではないかというぐらい、起こす必要もない状況でした。

2000年を越えたあたりから、あれ、あれと、田舎の衰退はぐんぐん進み、2005年ごろからは、目に見えて壊れはじめました。年を追うごとに加速して下り坂を転げ落ちていく感じです。なすすべもない、といった実感です。

2010年ごろには、ある一線を越えてしまったように感じます。童仙房だけでなく、日本中の田舎が同時進行です。その一線とは、「消滅が確定した」という状況です。今がどうであれ、子どもが極端に少なくなり、若い夫婦がほぼいなくなってしまうと、将来の消滅を回避する方法がありません。

わが家のサバイバル

とうぜん、わが家も、そのあおりを受けます。急速に生活が成り立たなくなっていきました。

まだ余力のあるうちに、手を打とうとして、個人輸出、個人輸入を始めました。売上とは別に、意外にも多くの学びがありました。外国人と知り合い、コミュニケーションするのは、びっくりするほど簡単で、いいかげんな英語でもじゅうぶん用をなします。商品を売ったり買ったり、送ったりするのも、国内の通販やオークションと変わりません。

いんや〜、知らん間に世界は1つになってしまっているのね。人もモノもお金も、こんなに簡単に世界を行き来するのに、国家って、何? 国家はいったい何を守ろうとしているの?

輸出入をがんばれば、家計もどうにかならないわけでもなさそうです。私よりも先に取り組んで、十分な成果をあげている人たちもおおぜいいます。世界はけた外れに市場が大きいです。やはり、世界へ目を向ければ、活路がひらける!

見ないふりをしてきたことに気づいてしまった

ところが、本腰入れてがんばろうって思ったとき、根本的な問題に気づいてしまいました。正確に言うと、気づいたのではありません。もともと、わかっていました。見ないふりをしてきただけです。

もし、輸出入に本腰入れるなら、避けて通れないばかりか、根本的な矛盾を露呈してしまいます。それは・・・

わが家がいくら経済的に成功しても、地域が消滅しては生きていけない

ということです。

やはり、他のご家庭と同じように、田舎をあきらめて都市へ出て、仕事を見つけるのが、唯一の正しい選択肢であるように思われました。


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現在に至るまでの経緯は、以上の通りです。この疑問を受けて、どのように判断したか、それは、ページを改めてお話しさせてください。

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