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[008]犠牲は必要か?

  

 

大きな災害を振り返ってみました。

関東大震災の14万人もの犠牲は、江戸大火災から学びを得ていれば、かなり軽減できた可能性があります。次の関東大震災が近づいているとも言われていますが、私たちは、大正・関東大震災から、じゅうぶんな学びを得たでしょうか? その学びが、次の関東大震災に生かされるでしょうか?

もし、大正・関東大震災の学びを得ず、生かそうともしないなら、次の関東大震災は、大正・関東大震災を上回る犠牲が出るかも知れません。十分な学びを得れば、未来の犠牲を限りなく減らすことは可能です。

東日本大震災の津波被害を見れば、前回の災害の学びをどう扱ったかが、被害の大きさをかなり変えました。

他人事ではありません。私たちは、個人でも、社会でも、国家でも、多くの災害、災難、苦難、挫折を経験していますが、それらから、じゅうぶん学んでいるでしょうか? 十分な学びを得れば、それ以後の災難は避けられます。

ところで、犠牲とは、成長や発展に不可欠な、尊いものなのでしょうか?

すでに生じた犠牲については、私たちは、謙虚に学ばせて頂き、犠牲となられた方々に感謝と追悼をささげなければなりません。でも、未来の犠牲は、受け入れなければならないのでしょうか?

世界中の宗教、神話、民話は、犠牲が不可避であると示しているようにも見えます。そこで、犠牲が尊いものとされ、正当化されてきた部分があります。すべての戦争がそうでしょう。虐殺でさえもある意味、「正当化された犠牲」でしょう。私たちが受ける苦難、災いは、人間として生きる以上、甘んじて受け止めねばならない宿命であると考える人々が多いです。

その一方、だれも好きこのんで、自ら犠牲にはなりたくありません。

そこで、「尊い犠牲」を積極的に差し出すことで、不慮の犠牲を避けようという考えが、世界中に存在しました。人身御供や人柱です。日本では、実際に宗教的な人身御供が行われた証拠は見つかっていないようですが、人柱伝説は各地に多数あります。築城、築堤、架橋など、災いによる甚大な犠牲を避けるため、生きた人間をその場所に埋めておきます。さすがに現代ではこのようなことは日本ではありませんが、江戸時代には各地で行われていました。

で、その結果、人柱を立てれば、災いは避けられたのでしょうか?

個別に様々な事象がありますが、人柱を立てたあと、意外にも祟りに悩まされたという伝説がしばしば見られます。そりゃそうだろう、埋められた人はたまったものではない。と、端で見ていると、当然と思えます。人柱が有効に機能するなど、あり得ません。なのに、世界中で、そんなことが信じられたのは、なぜでしょう?

人身御供はもっと凄惨です。

おそらく、アステカの生け贄の儀式が歴史に残る中では世界史上、最大のものでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アステカ

16世紀にスペインに滅ぼされるまで、儀式は続いていました。インディジョーンズの映画を見たことがありますか? 宗教儀式の中で、神官が生きた人間の胸を割いて心臓を取り出し、神にささげる場面がありますが、あれと同じことが、もっと大規模に行われていました。一度に数百人の心臓をささげます。犠牲者は、戦争によって征服した周辺部族の人々です。太陽が消えていくという災いがアステカ神話にありますが、それを防ぐために、次々と心臓をささげねばならず、多大な人身御供が行われました。

では、アステカは、どうなったでしょう?

人身御供ゆえに、スペインがやってきたとき、周辺部族がスペイン側につき、強大なアステカ帝国が滅亡しました。スペインは、アステカの文明をことごとく廃棄しました。神話さえも。当時のスペイン人には、アステカの神話と人身御供はかなり強烈だったようです。1100万人いたアステカ人は、100万人にまで減ったそうです。犠牲者1000万人。人身御供は、災いを避けるどころか、甚大な犠牲と滅亡をもたらしました。

もし、アステカが人身御供をしていなかったら? スペインはアステカを滅ぼすことができなかったかもしれません。

犠牲は、特殊な世界のできごとではありません。近代文明に住む私たちでも、大なり小なりの犠牲を必要悪と考えている場面が多々あります。

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