平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

モモナナじぇーぴー

メイン
創造の力

創造の力

[009]犠牲と代償の違い

  

 

犠牲は、私たちが生きていく上で、社会を成り立たせていく上で、避けられないものと考えられがちです。世界中の宗教、神話、民話も、犠牲を扱っています。

私たちは、犠牲になるためにこの世に生まれてきたのでしょうか? そんなはずはありません。大勢が難を逃れるために、少数の犠牲はやむを得ないという考え方は、正しいでしょうか? それは、人身御供や人柱を正当化しかねません。

殉教や殉職という、「尊い犠牲」が世の中にはあります。殉死は、残された者たちにエネルギーを与え、成長を促すことが多くあります。とはいえ、そのような犠牲は不可避なのでしょうか?

犠牲によって生まれるのは、成長と発展です。だったら、犠牲を伴う前に、成長や発展を得るなら、犠牲は必要ないのではないでしょうか? そのような視点で、様々な宗教や神話や民話を見てみると、少し違う面が見えてきます。

「引き寄せの法則」は、誤解されています。頭の中で欲しいものをイメージするだけでそれが実現する。なんてことは、ありません。試してみて下さい。まず、実現することはありません。しかし、引き寄せの法則は、あらゆる宗教、神話、民話などに広く見られます。古来から広く見られる「引き寄せの法則」と、最近言われるようになった「引き寄せの法則」には、決定的な違いがあります。主に、次の2点が、最近の「引き寄せの法則」に欠けています。

(1)代償が必要である。
(2)願望を実現することで、世界を救う。

つまり、自分だけが良くなるような願望が、祈るだけで実現されることはあり得ません。このような利己主義的な「引き寄せの法則」は、古来の知恵には見られないものです。でも、最近の人々は、本気でそんな「法則」を信じています。もし、こんな法則が存在すれば、世界はメチャクチャになってしまいます。

願望を実現するには、それに見合う、それなりの代償が必要です。100円お賽銭をあげて、100万円くださいという願望実現は無理です。100万円に相当する代償が必要です。

代償とは、自分が差し出すことのできるものを差し出すことです。時間、労力、お金などがそうでしょう。仕事は代償のひとつです。宗教的な願掛けは、一定期間、自分の欲を断じて、何か厳しいことを自分に課します。願望とは直接関係ないようでも、代償のひとつです。学びも、時間や労力を差し出すので、代償のひとつです。代償とは、行動と言い換えることもできますが、ただ行動すればよいというのではなく、願望に見合う、それなりのことである必要があります。そして、願望と直接関係があるように見えない代償でもかまわないと、古来の知恵に示されています。

ガンジーは、断食で戦争を止めました。断食と戦争は関係ありません。しかし、かなり大きな代償でした。あれ? ガンジーのケースでは、犠牲を伴っていませんよ。むしろ、犠牲を止めるものでした。

私たちは、世界から受けとるいっぽうの生き方をできません。だから、代償が必要です。代償とは、自らの意志で世界へ差し出すものです。代償がじゅうぶんでないとき、自分ではじゅうぶんだと思っていても、世界から見ると間違っていたり、不足していたりするとき、世界はさらなる代償を求めます。それが、苦難、災難、悲劇、ときには、犠牲です。犠牲とは、自ら望まないにもかかわらず、差し出すこととなるものです。

しかし、苦難、災難、悲劇、犠牲は、必ず世界を救うための学びを生じます。代償を差し出すことと同じ結果を生じます。でも、苦難、災難、悲劇、犠牲から学びを得ることがじゅうぶんでなければ、それらは繰り返されます。

苦難、災難、悲劇、犠牲を避ける方法は、ただひとつ。過去の出来事から、学ぶことです。宗教、神話、民話は、私たちにそう促しています。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ