平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[013]宗教と、神話と、昔話

  

 

私はこれまで、宗教と神話と昔話を同時に語ってきました。

これらは、別のものです。

宗教は、その人が生きるときの根本精神であって、よりどころです。
神話は、民族の中で共有されている「心」です。
昔話は、多くの人々が語り伝えてきた「暮らしに密着した物語」です。

でも、三者は共通している点もあります。

(1)長い歴史を持つ
(2)数え切れないほど多くの人の人生が重ねられている
(3)その人たちにとって、非常に大切なものである

しかし、これらが、悲劇をもたらすこともあります。

大切なものであるがゆえに、戦争、虐殺、人身御供、差別など、犠牲を要求してしまうことがあります。あるがままの現状を受け入れ、感謝するのは大切なことですが、現状に対してあきらめるのは、間違いでしょう。しかし、宗教や神話が、あきらめを要求してしまうこともあります。あきらめは、創造の芽を摘み、可能性をふさぎます。むやみに社会への同化を求めるのも、その一環でしょう。

これらは、悲劇です。犠牲が生み出されます。発展や成長が生じるのは、犠牲の果てにです。世界は、常に発展と成長を続けます。私たちがどのように生きようとも、その結果は、世界の発展と成長をもたらします。

その過程が悲劇であるなら、その果ての発展と成長を祝福することが困難です。最後がハッピーエンドであるとしても、悲劇の人生は歩きたくありません。いつもいつも、幸せを感じられる人生でありたいものです。

宗教、神話、昔話が悲劇をもたらすために、これらを否定したがる人たちもいます。かたや、これらを政治的に利用しようとする人たちもいます。どちらも悲劇です。人類の叡智は、世界の原理を語ります。これを否定しては、迷うのみ。悪用しては、地獄行き。

宗教も、神話も、昔話も、表層的に読むべきではありません。隠喩として読むべきです。

天地創造を語る宗教や神話は世界各地にあります。表層的に読むなら、物語の数だけ、天地が創造されたことになります。人類創造を語る物語の数だけ、人類が創造されたことになります。神様の数だけ、神様がいることになります。

表層的に読むなら、必然的に競争や闘争が生じます。1つだけが正しくて、残りは全部間違いという弱肉強食の世界を生じてしまいます。これが、現在の世界でしょう。

天地はどうにかして誕生したでしょう。人類も、どうにかして誕生したでしょう。科学はそれを解明しようとしています。宗教も神話も昔話も、それを説きます。表層的な理解をやめて、すべてが、1つの原理を示していると読むなら、何が起きるでしょうか?

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