平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[016]世界と「私」

  

 

宗教の表層的理解は、世界から自分へと矢印を向けます。
創造→支配→命令→犠牲

いっぽう、宗教の隠喩的理解は、自分から世界へと矢印を向けます。
創造→感謝→させていただく→代償

『思考は現実化する』と、成功哲学の大御所、ナポレオンヒルの著書にもありますし、「引き寄せの法則」もそのように示していますが、思考と現実化の間には、絶対欠かせないプロセスがあります。行動です。

思考→行動→現実化

これが、成功哲学の根本であり、引き寄せの法則そのものでもあります。どの成功哲学を見ても、行動が最重要事項として強調されています。なのに、成功哲学を学ぶ人の多くは、行動を避ける、あるはショートカットすることを期待してしまいます。

思考→現実化

こんな法則は世界に存在しません。神や仏にもあり得ません。魔法や呪術でさえも、何らかの行動を伴います。行動とは、言い換えると、代償です。代償なしに思考が現実化することはあり得ません。

しかし、じっさいには、多くの、しかも良識あるおとなたちが、代償なしの成功を願います。

奇跡とは、代償なしの成功ではありません。思考と行動によって、望む現実を実現することが奇跡なのです。望む現実は、今は現実ではありません。今、現実でないものを、望むとおりに現実化させられるなら、それが奇跡なのです。なぜ奇跡かというと、現実化するための方法が見えないからです。

現実化するための方法が見えていれば、奇跡ではありません。そのとおりやっていけばいいだけです。

途中の方法がわからなくても、望むとおりの現実を実現することは可能です。これが創造なのです。そのためには、思考と行動が必要です。

思考と行動には、どちらも、条件が必要です。そのことは、じつは、多くの宗教、神話、民話において、はっきり示されています。しかし、そのことを読み取るには、隠喩的に読むことが必要です。

キリスト様が十字架にかかったからと言って、全員が十字架にかからないといけないわけではありません。
仏教で、飢えた虎に我が身を差し出した「菩薩行」の話があります。でも、飢えた狼の群れに飛び込むことを求めているわけではありません。

これらの「教え」を表層的に読んでしまうと、困ったことになってしまいます。我が身を差し出すということは、代償の大切さを説いていると読むべきです。死んでは元も子もありません。

異教徒を殺せ、という「教え」も、表層的に読んでしまうと、終わりのない戦争へ突入してしまいます。異教徒とは誰なのか? 異教徒は自分の心の中にいるのではないか。自分以外の誰かを「異教徒」だと思ってしまう自分の心こそが異教徒ではないのか。隠喩的に読めば、こう読めます。

思考と行動の条件は、次の通りです。
(1)世界を救うというミッション
(2)自分が代償を払う

じつはこれは、宗教だけではなく、ビジネスも、学問も、政治も、どんな活動も、その道の大家が同じことを言っています。しかし、多くの人は、そうでない道を歩こうとします。

そう、多くの人が言う言葉。「私にはそんな大それたことは無理だ。私は凡人なのだから」。悪魔のささやきですね。だって、この言葉から生じる未来は、苦難とイバラの道へ迷い込むことに他なりませんから。

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