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創造の力

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[019]宗教の共通点

  

 

世界には、たくさんの宗教があります。

宗教とは何でしょうか? じつは、宗教とは何かを明確に説明できる人はいないそうです。

それはおいておくとして、「○○教」と名乗るものはとりあえず宗教の1つでしょう。ここ何回か書いているように、宗教には底知れぬ破壊力と、底知れぬ創造力があります。

宗教の難しさの1つが、「異教徒」です。信じる者と、信じない者。それは、救われる者と救われない者に分かれます。または、善と悪に分かれます。味方と敵に分かれます。

このことが、あまりに多くの不幸な歴史を作ってきました。じゃあ、宗教なんて、世の中からなくなればいいんだ!!というわけにもいきません。どうやら、人間には、宗教が必要なようです。

宗教を信じない人も大勢います。それらの方々は、科学や道徳や、自分なりの人生信条で生きています。なんらかのよりどころを持っています。それらの人生信条も、そう思う人と思わない人を隔てがちです。

科学もそうです。科学的なものと、非科学的なものとを隔てがちです。科学がすべてを解明できると信じるなら、それもまた宗教のようなものではないでしょうか。私が知る限り、超一流の研究者は、人智を超えた大いなるものに畏敬の念を持っておられることが多いです。科学や人間の限界をわきまえつつ、科学をきわめているという姿勢です。

人間にとって、宗教は悩ましいものです。信じれば信じるほど、排除、排他、非寛容、さらには防衛、攻撃へとエスカレートしがちです。

宗教ごとに、神や教義や聖典や儀式がまちまちです。宗教研究は、宗教ごとの特徴や個性を明らかにし、分類したり整理したりします。つまり、「違い」を追求することが、宗教研究となっています。

いっぽう、様々な宗教が同じテーブルについて、手を取り合おうという試みもあちこちで始まっています。これは、とてもうれしいことです。宗教に端を発する悲劇が減っていくなら、世界の平和が見えてきます。

ところが、このような試みも、「同じテーブルにつく」に終わっています。

私たちは、外国人と接するとき、何を感じますか? 表面的な違いを超えたところの、人間同士としての共通点をひしひし感じるはずです。表面的な違いが大きければ大きいほど、共通点を感じると感動といってよいほどの思いがわいてでます。

宗教は、なぜ、それが難しいのでしょうか? なぜ、だれも、共通点を見出そうと試みないのでしょうか?

不遜ながら、私に、あらゆる宗教の共通点を指摘させて下さい。間違いや不足があれば、教えて頂ければ幸いです。

すべての宗教の共通点は、神であれ、仏であれ、聖典であれ、教義であれ、儀式であれ、世界そのものです。世界を表現する形の1つです。世界は1つです。宗教の数だけ世界があるわけではありません。世界は1つです。どの宗教も、たった1つの、かけがえのない世界を表したものです。

世界は1つなので、どれほど宗教に違いがあろうとも、矛盾も対立も生じません。
世界は1つなので、「信じる者」はいても、「信じない者」はいません。
世界は1つなので、「救われる者」はいても、「救われない者」はいません。
世界は1つなので、「味方」はいても、「敵」はいません。
世界は1つなので、「異教徒」はどこにもいません。
もし、ある宗教がある宗教を攻撃するなら、自傷行為です。

善と悪の区別は、あるともないとも言えます。ただし、短絡的な善悪の区別は、おそろしく危険です。

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