平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

創造の力

[021]最も弱い心から信念が生まれる

  

 

創造を実現した人、世界に良い影響を及ぼした人、何かを成し遂げた人は、特別な人だと思われがちです。
もともと才能があったのだ。
もともと偉大なのだ。
神から選ばれた人なのだ。
特別に幸運だったのだ。
などなど・・・

これらは、ひっくり返って、「自分は特別な人間ではないので、たいしたことはできない」という自己弁護につながります。

そして、「世界なんて、とんでもない。自分の会社だけ、あるいは地域だけ、あるいは家族だけ守れればじゅうぶんなのだ」と、表面的な謙虚さで保身に走ろうとします。

これは、ほんとうに謙虚なのでしょうか? どうも私には、尊大な傲慢さに見えます。会社であろうと、地域であろうと、たとえ家族であろうと、「自分が守る」ことなんて、できるのでしょうか?

家族も、私がどうにかできるものではありません。この世界の中で、生きさせて頂いているにすぎません。私に家族を守る力など、あろうはずがありません。父親のくせに、何を言うんだ!この甲斐性無しが!!と言われても、本当にそうです。妻も子どもたちも、私の手の中にあるわけではありません。

家族であろうと、地域であろうと、どんな組織であろうと、私が守ることなどできません。

しかし、世界を救うために力を尽くさせて頂くことならできます。家族も、地域も、世界とともにあるのだから、世界を救うために力を尽くさせて頂くなら、結果として、最大限、家族を守り、地域を守ることになるでしょう。

なぜ、こんなことを言うかというと、偉大な方々は、ほぼ決まって言います。「私は特別な人間ではない。凡人だ。私のようなことなら誰でもできる」と。

どのような宗教も、神話も、世界を救う心を説きますが、同時に、謙虚であることを強調します。「守ってあげる」「助けてあげる」「手伝ってあげる」というのは、自分がそのような力を持っているからこそ言えるのです。さて、そのような「力」って、どんなもの? お金?権力?知識?技術?

ところが、そのような「力」は、どうも、世界のために使われることが少ないです。誰かの欲や名声のために使われがちです。

偉大な人の多くは、ゼロ、またはマイナスからスタートしています。「力」を持たないところからスタートし、短期間で世界を救う何かを成し遂げています。力を持っているから世界を救えるのではありません。

偉大な人々はたぐいまれな強い信念を持っています。ちょっとマネのできない精神力です。ところが、彼らが語る人生は、どうもそうではない。宗教や神話が語る人々や神々も、もともと強いわけではないことが多いです。

迷い、失敗を繰り返し、挫け、ひるみ、自分を責め、少しずつ進んでいきます。どうも、見れば見るほど、偉大な人々の心は、弱いです。弱いがゆえに、後がないし、退転する余地もないし、進むしかありません。

強い心は、必ず負けます。弱い心は、弱ければ弱いほど、負けません。負ける余地がないのです。どうも、強い信念の正体は、最も弱い心ではないかと思えます。自分を守ろうとするのは、守ることのできる余地があるからであって、自分の弱さに怖れをなして、見ないことにしているだけでしょう。

奇跡を起こすためには、自分の弱さをとことん自覚することです。「自分には無理だ」というのは、弱さの自覚ではありません。たんなる驕りです。「私にできることは、世界のために力を尽くすことだけだ」というのが、究極の弱さです。

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