平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[025]生きる責任

  

 

どたんばで起きる変容は、自由と責任をもたらします。

この責任が、人間にとっては怖ろしいものなのです。責任が怖ろしいから、自由もある程度以上は欲しがらないのです。じゃあ、制限された自由で満足して幸せに生きていけるのかというと、そうでもありません。

世界は(神仏は、と言い換えてもいいです)、自由を拡大することを求めます。自由を拡大せざるを得ないように、様々な出来事が起きます。ある意味それは、災難、苦難、トラブルです。逃げれば逃げるほど、どうしても解決せざるを得ない状況が生じてしまいます。

そういうとき、人は、宗教や占いや専門家などにすがろうとします。でも、究極、最後の最後は、自分で何とかせざるを得ない状況に陥ってしまいます。

そうでなくても、逃げれば逃げるほど、不平不満がつのり、ストレスや身のまわりの不和が拡大していきます。

責任とは、何でしょうか?

そんなに怖ろしい責任とは、その実体はどのようなものなのでしょうか?

誰に対しての責任でしょうか? 自由を受けとるのは、世界からです。だったら責任も、世界に対してです。

責任とは、「世界を救う」という責任です。「世界を救わねばならない」というのは違います。世界から命令されたりお願いされたりするわけではありません。自分で世界を救おうと決意することです。

ところで、世界は、自分そのものなら、世界を救うというのは、自分を救うことに他なりません。世界を救うために自分が犠牲を払わねばならないと考えるなら、そんなことはまっぴら御免となるのでしょう。自分を救うために代償を払うなら、それで良いではないですか。むしろ、それを嫌だというなら、自分が良くなるはずなどありません。

私たちは、欲しいものは手に入れたいが、代償を差し出すのは嫌だと考えがちです。それは無理でしょう、どう考えても。もらう一方では成り立ちません。良識ある大人なら、すぐわかるはずなのに、意外にも私たちは、心底、そんなことを考えています。

自由と責任は、自分と世界の関係です。自分と世界の間の、ギブアンドテイク。幸せと、代償。

世界は、自分そのものです。だから、世界に対しての代償は、必ず自分へ戻ります。世界と自分が別であるなら、代償が戻るかどうかは確定できません。同じだからこそ、必ず戻ると言い切れるのです。だからこそ、どたんばで突き進めば、必ず道が拓けるのです。

とはいえ、自分と世界が同じだとは、なかなか実感できません。

世界中の人類の叡智は、どうも、そのことに集約されていきそうです。これを実感できるような学びこそが、創造の力ではないかと、考えています。

例えば、神話にしろ、昔話にしろ、ニュースにしろ、誰かの個人的な問題にしろ、会社の課題にしろ、どんな問題や出来事も、この原理に基づいて隠喩的に読めば、あっさりと理解できることが多いように感じています。

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