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創造の力

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[034]普遍的な原理を仮定すると

  

 

釜石市議会では、現実の状況を了解しているはずです。それでもなお生じる不安。
てんでんこの前に、普遍的な原理が存在し、それはあまりに当たり前であるがゆえに、わざわざ語っていないだけであると考えてみました。

そして、その普遍的な原理を、「命が大切である」と仮定してみます。

今回の津波は、日本中、いや、世界中の人が、恐ろしさをまのあたりにし、助かった人と、助からなかった人を、見せつけられました。誰の目にもはっきりしています。

理由の如何を問わず、逃げた人は助かり、逃げなかった人は命を落としました。

どんなに高潔な人生であろうと、どんなにいかがわしい人生であろうと、他人を救うためであろうと、利己主義であろうと、関係ありません。逃げたか、逃げなかったか。それだけです。

良いことをすれば救われ、悪いことをすれば地獄へ落ちるなどという法則はありません。

こう見ると、てんでんこは、大津波に対しては、絶対的な法則のように見えます。

ちょっとここで、大正12年の関東大震災を検討してみます。

死者・行方不明が20万人とも、14万人とも、10万人とも言われています。が、そのうちの3万8千人が、被服廠跡という、避難先の広大な広場で焼死しています。

かたや、別のケースがあります。
浅草区は96%が消失するという壊滅地域だったのに、浅草観音付近だけが、焼失をまぬがれています。地図上で、焼け跡を塗りつぶした際の空白地帯です。ここに、10万人が避難していました。周囲は、すべて焼失しています。

このエリアで、四方八方から、火災がせまってきました。孤立し、消防隊もいません。彼らは、エリア内の池を利用し、人力で、バケツリレーを繰り返し、迫り来る火災と闘いました。20時間にわたる奮闘です。その結果、10万人が救われました。もし、闘いに敗れていたら、死者が、プラス10万人だったそうです。

関東大震災では、逃げた人が命を落とし、闘った人が助かりました。火災旋風は、逃げても逃げられません。津波と真逆です。

ここで、「命が大事である」という普遍的な原理を仮定するなら、すとんと理解できます。

津波の場合、
逃げれば助かる、逃げなければ助からない。理由は無関係。
原理の上に、[そこでの文脈]を乗せれば、解は、てんでんこです。

関東大震災の場合、
闘えば助かる、逃げれば助からない。
原理の上に、[そこでの文脈]を乗せれば、解は、「総力で消火」です。

つまり、こういう公式が成り立ちそうです。
普遍原理+[そこでの文脈]=[そこでの知]

だとするなら、災害弱者はどうなるのかという解は、簡単明瞭です。
「そこにいるべきではない。つまり、高台に住むべきである」

災害強者が必死に逃げてぎりぎりであるなら、災害強者が災害弱者を助ける行為は、共倒れに過ぎません。「無意味」です。両方を助ける方法は、ただ一つ。災害弱者が、災害の中に存在しないこと。

ここまでの論理、よろしいでしょうか?
私には、受け容れがたい論理です。というか、私にとっての現実は、まったく異なるものです。

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