平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[035]命がいらないと思うとき

  

 

私は、阪神大震災の後、数カ所の避難所へボランティアに行きました。数カ所というのは、より被災の激しい地域へ移っていったのです。

大火災のあった地区の避難所へ、4月に行きました。

ある女性をみかけました。うつろな目で、ふらふら歩いています。まるで夢遊病者のごとくです。地元の方が教えて下さいました。

震災当日、自宅が全壊し、父と母は脱出できたが、2人の子どもが倒壊家屋の下敷きとなり、救出しようと奮闘しているうちに火が回り、両親の目の前で、焼死しました。両親は、わが子の断末魔の声を聞いたそうです。以来、母は、魂が抜けたようになりました。1月17日のまま、3ヶ月経ってもなお時間が停止しています。

当時、独身だった私は、我が身に振りあてることはできないものの、戦慄を覚えました。

彼女に、いかなる心のケアも不可能であろうと思われました。どうやって彼女を救ったらよいか、まるで見当もつきませんでした。

4人の子を持つ今、彼女と同じ状況が生じたなら、彼女と同じ状態になります。確実に。わが子を追って自殺する気力を喪失するほどのショックだったのです。生きることの意味をあまりに失ってしまうと、死ぬことの意味さえ、失ってしまいます。

もし、わが家が、三陸沖に住んでいたとして、今回の津波。てんでんこを十分理解し、常に思っていたとします。11歳の長男、8歳の長女は、災害弱者ではないかもしれません。6歳の次女、3歳の三女は、逃げ切れないかもしれません。私は、てんでんこに従って、次女と三女を捨てて逃げられるか。

無理です。

できません。

長男と長女と妻は、殴ってでも避難させます。私は、いくら不可能でも、わが子を助けるために全力を尽くします。私の命はいりません。わが子を助けるために命を落とすことは、本望です。

私と妻の、それぞれ高齢者である親を見捨てることもできません。

では、肉親ではない、顔見知りの近所の方を見捨てて逃げられるか。

難しいです。

では、見ず知らずの人を見捨てて逃げられるか。

難しいです。

私のこの感性は、間違いです。むやみに、犠牲者を増やすだけです。
逃げるべきです。
逃げて、未来を拓くべきです。

でも、少なくともわが子を捨てて逃げられません。
未来を拓くという責任を果たせません。
ごめんなさい。
それでも捨てられません。

命が大事だという原理も、てんでんこという[そこでの知]も、ごめんなさい。
私は従えません。
私の命はいりません。子どもを救うために、死力を尽くさせて下さい。
だめだということが、明らかだとしても。

私が命を落としても、妻も助かった子も、後ろを振り向く必要はありません。
あなたたちがすべきことを、私がさせていただいたのだから、
あなたたちは、未来を見ていればよい。
天国か地獄か、どっちにいるかわかりませんが、私はそう語ります。
そして、自分が犠牲になったことに、無上の喜びを感じるでしょう。

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