平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[036]愛

  

 

自分がわが子のために命を落とすという状況を想定し、思いをめぐらせたとき、全方位への感謝がとめどなくわき起こります。なんの苦しみも感じません。

ありがとう、ありがとう、ほんとうにありがとう!!

論理を超えたこの感覚、いったい、何なのでしょう?

人間の極限状態といえば、ナチスの強制収容所を思い浮かべます。アンネフランク一族のうち、アンネの父親だけが、生存できました。なぜでしょう?

そして、『夜と霧』。これ以上ないほどの劣悪な環境の中、毎日労働を強いられ、労働ができなくなったら、「処分」されます。病気をして働けなくなったら、死を意味します。彼らにとって、政治的な関心は非常に高かったとのことですが、楽観的な人ほど、たえず期待が裏切られることとなり、精神的なダメージが大きくなっていったそうです。世に言われる「ポジティブ思考」は、難しい。

いつ終わるのか、わからない。何のための労働なのかもわからない。娯楽、癒し、休息はない。食事も最低限。

「命が大切」という原理を想定すれば、逆の問いが生じます。

大切だと言うその命は、いったい何なのか?
なぜ、そこまでして生きなければいけないのか?
「もういいよ、終わりにしよう」という気持ちを、その原理は否定できるのか?

『夜と霧』は語ります。

「生きる目的を見いだせず、自分が存在することの意味を見失ってしまった人は、あっという間に崩れていった。必要なことは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。私たちが、生きることから何を期待するかではなく、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ。それが、絶望を救う」

受けとることを望む人生は、つらいものです。お金が欲しい、名声が欲しい、他人から悪口を言われたくない、健康が欲しい、安らぎが欲しい、あれが欲しい、これはいやだ。

絶望時には、このことが身を滅ぼします。受けとる人生ではなく、与える人生こそが、絶望を超えられるとのことです。

『夜と霧』は、こうも言います。

「収容所の中のある人が、天と契約を結んだ。自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしいと、願った。私たちは、意味なく苦しんだり死んだりすることを望まない」

じっさいに、その願いを神様が聞き届け、愛する人が苦しみからのがれられるかどうかというのは問題ではありません。このような思いを抱くことで、自分自身が、絶望を超えるための力を獲得できるのです。

『夜と霧』は、こうも言います。

「絶望的な状況で、愛する妻の姿を見た。妻は微笑んでいた。対話した。目に前の苦しみを感じなくなった」

そのとき、「愛する妻」がじっさいにいたわけではありません。内面的なできごとです。現実には、その時点で、妻はすでにガス室で殺されており、生存していませんでしたが、妻と対話した本人は、妻が生きているか死んでいるかさえわかりませんでした。

彼は、瞬時に、人間にとって最大の「真実」を会得したと言います。
「愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ」
「愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)『本質』に深くかかわっている」

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