平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[041][そこでの知]の修正

  

 

田舎は、どこでも、急速に過疎化が進行し、消滅へ向けて、衰退が加速しています。

田舎には、どこにでも、豊かな[そこでの知]があり、10年ほど前までは、それなりに豊かで文化的な暮らしをしていました。[そこでの知]が、暮らしを支えていました。

ところが、ここ数年、状況が激変しました。

これは、[そこでの知]が現状と合わなくなってきたと見ることができるでしょう。衰退の原因は、さまざまに推測が可能ですが、他者に原因を求めても、なんら状況は改善されません。

[そこでの知]は、どうやって、修正や改善がなされるのでしょうか?

これについて、伝説や昔話に共通するパターンがあります。

スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する話は、毎年、娘が、人身御供としてオロチに差し出されていました。そこへ、スサノオノミコトがやってきて、オロチを退治し、[そこでの文脈]が変更され、人身御供という[そこでの知]が終了しました。

[そこでの文脈]を変更したのは、異人です。その文脈の外にいる存在です。

異人が、[そこでの文脈]を変更し、[そこでの知]が修正されるというパターンが、非常に多いです。[そこでの文脈]内の人々は、その文脈を具合の悪いものだと認識していても、内部の力だけで変更できません。

異人は、武力や暴力で変更を強いることもあれば、もっと平和的でささいな方法でなすこともあります。意識せずに変更のきっかけを提供していることもあります。異人との接触を契機に、文脈内の人々が変更を成し遂げることもあります。武者であるとは限らず、娘であったり、僧侶であったり、さまざまです。

アステカの人身御供が終了したのも、スペインという異人が文脈を変えたことによります。

[そこでの知]は、時間と空間を伴う概念であれば、空間が変われば文脈は変わりますし、時間が変われば、文脈は変わります。

時間が変わるということは、時代背景、社会のあり方が変わるということです。いつまでも同じやり方が通用しないということになります。

たしかに、自分(たち)の知を自分で修正するというのは、意外と難しいことです。異人の存在無しに自分たちだけで修正が不可能かどうか、そこまでは断言できませんが、少なくとも、容易ではありません。神話、伝説、昔話は、そのことを、はるか昔から伝えてきたのではないかと思います。

田舎によっては、異人との接触を積極的に行っている地域もあれば、異人との接触を閉ざしている地域もあります。異人との接触が閉ざされている地域では、昔ながらのやり方がそのままいつまでも残りやすく、変更はなされにくいです。時代の変化が緩やかであれば、安定しますが、時代の変化が急速なら、非常に不安定となります。異人との接触がさかんであれば、文脈が変更される機会が多いということになります。

念のため、文脈の変更じたいに、正誤、善悪の評価はなし得ません。当事者が、それを望むかどうかという違いはあるでしょう。その時は望まなかったが、後で振り返ると、その変更は良いことだったと思える場合もあるでしょう。いずれにせよ、主観です。主観こそが、現実であり、現実こそが、普遍的原理そのものです。普遍的原理は、何の評価も生じません。しかし、主観(思い、考え、価値観)を生じます。そして、主観が、行動を生じます。

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