平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[057]自由

  

 

「自由」という概念は、難しく、危険です。

私たちは誰でも、自由を求めます。

「どんなに嫌でも、○○しないといけない」
「自分を抑圧して、他に仕えなければならない」
「欲望はいけないことである」

ああ、もう、聞いただけで嫌になりますね。「してはいけない」とか「しなければいけない」とか。ほっといてくれ!って叫びたくなります。

たしかにそれは、自由が損なわれています。とても不条理です。どうして、私の人生を、あんたに決められないとあかんのか?

自由って、何でしょうか?

苦しいことや、嫌なことからの解放? それも自由のうちですね。独裁や圧政や奴隷制からの解放はものすごい願望ですね。私たちの、日々の苦痛からの解放。何としても手に入れたい自由です。

そしてまた、したいことができる自由もあります。「〜からの自由」と「〜への自由」の違いです。外的な規制や抑圧によって、ほんらいできるはずのことができなくなっていることもあります。

自由は、この2種類だけでしょうか?

もうひとつ。もっと大事な自由があります。「選択の自由」です。自分の人生を自分で選ぶ自由です。どんな人生を歩いても、必ず世界を救う結果になります。どんなに人を苦しめたとしても、世界を救う結果になってしまいます。

しかし、人を苦しめる人生は、自分が選択したものではありません。選択から逃げた末の人生です。だから、自ら自由を損ねるものであり、苦しみや痛みを大きく感じる人生となってしまいます。

選択は、責任を伴います。他人のせいにできません。多くの人は、それを嫌がります。だから、選択を避けようとします。自分が選択したのではなく、他から与えられた、あるいは強要された道である。そう思うことで、選択の責任からのがれます。

なんと、もったいない話でしょうか。

選択の自由は、全ての人に、完全に備わっています。だって、どんな状況においても、自分が選択することは可能です。『夜と霧』にも示されています。強制収容所という、極限の自由がない状況においてさえ、人は自分の振る舞いを選択できると。

私たちが選択するのは、「世界を救う」ということだけです。世界を救うとは何なのか。それは人によって違います。だからこそ、自分が選択しなければならないのです。

自由とは、闘って勝ち取るものではなく、自然に与えられるものでもなく、現実離れした夢想でもなく、格差のあるものでもありません。

「〜からの自由」も「〜への自由」も、選択の自由の前にあっては、虚構です。なぜなら、どんな状況にあっても、私たちは、自分の人生を選択することができるからです。人々は、現実には、平等には見えません。しかし、選択の自由を持つ点では、間違いなく、万人が完全に平等です。選択の自由に格差などありません。

選択の自由を妨げるものは何であるかというと、他者や外部環境ではなく、自分の臆病です。選択の自由は、怖いものではありません。なのに、怖いものだと思ってしまう。その心が、最大の障壁です。

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