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創造の力
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創造の力[059]原発事故からの学び2011年3月11日の東日本大震災によって、福島第一原発が、未曾有の大事故を起こしました。チェルノブイリを超え、史上最悪の事故と言われています。 それに伴い、国や東京電力やマスコミへの批判が強まり、怒りとさえ言える状況です。 ちょっとこれは、危険ではないかと、私には見えます。念のため、申し上げますが、国や東京電力やマスコミが、今のままでよいなどとはまったく思っていません。大きな改善が必要です。 しかし、国、東京電力、マスコミを悪者に祭り上げれば、それで良い世の中になるのか? そんなことはありません。逆に、スケープゴートに罪を背負わせ、私たちは単なる被害者であると、「あっちは悪、こっちは善」の風潮は、良い結果をもたらしません。歴史がそう語っています。 もう一度言いますが、国も東京電力もマスコミも、現状は問題だらけで、改善の余地は無限にあります。しかし、それを、私たちが観客席で見ているだけでは、世の中、変わりません。というか、よけいに悪くなります。 自分たちは善で、あっちは悪、という風潮をいきすぎると、暴動や革命やテロ行為につながりかねません。 私たちに必要なことは、学びです。 原発事故から、虚心坦懐に、何を学ぶか。 学びとは、犯人捜しではありません。 世界を救うために、原発事故が、存在しています。 ある人々は、原発という怪物を生み出したのは、私たちの欲望なので、電力消費を抑えるべきだと主張しています。 なるほど、原発は、怪物です。いったん事故が起きると、対応が不可能となります。国や東京電力が国民を欺しているという事実、すでに多くの国民が気づいていますが、ちょっと考えると、国も東京電力も、そうしかできないのではないかと思えます。つまり、本当のことをそのまま伝え、誠実な対応をすることは不可能であるというのは、事故の実相なのです。 放射能漏れを止めることも、汚染を除くことも、人的被害を食い止めることも、環境への被害を食い止めることも、原発を廃炉にすることさえ、現実的ではありません。ようするに、そのまま、なるがままにほっておくしか、どうしようもない。原発事故とは、そのようなものなのでしょう。 だから、原発事故は現実には起きないことにしてきました。原発事故を想定するのは現実離れした夢想家のすることでした。原発廃棄物を処理する方法さえないのに、廃棄物のことは考えないことにしてきました。それを、私たち国民が、共有してきました。 じっさいには、原発は、人間がコントロールできない「怪物」です。今回の事故で、私たちは、痛切に感じました。もはや、怪物を怪物でないと考えることは現実的ではありません。 では、怪物を退治すれば解決か? 私たちの科学技術がもたらした甚大な災害に、私たちが対処してきたという実例が、あります。公害です。そのとき、私たちは、何を学んだでしょうか? |