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[060]原発事故は、なぜ起きた?

  

 

近代文明に電気は欠かせないエネルギーです。熱源や原動機には石油やガスも使いますが、多くの機械類は電気で動きます。電気がないと、ほんとうに、困ります。産業も、電気によって成り立っています。

日本は戦後、急速に復興し、高度経済成長期にさしかかると、電気の不足が深刻となりました。とくに関西圏では停電が頻発したため、黒部ダムの建設が計画され、短期間に超難工事をやりとげました。労働災害による殉職者は171人という、怖ろしいほどの工事でした。1963年の竣工でした。

このように、ダムや火力発電所が多数作られ、そのおかげで、日本経済は急成長し、私たちは豊かさを享受することができたのですが、ダムや火力発電所を作るにも、限界があります。自然環境保全の意識も高まり、無制限に増やすわけにはいきません。

なんとか、電力供給の心配をしなくてもすむような、「打ち出の小槌」はないものだろうか。

原発は、まさに、打ち出の小槌ではありませんか。ダムのように環境破壊を言われることもないし、火力発電のように、石油の需給に振り回されることもないし、安定していくらでも電気を作れます。安心して、いくらでも産業を発展させ、文明生活を謳歌できます。もう、電力供給の心配は要りません。電力供給問題から解放されます。幸せではありませんか。

ただし、事故は絶対無いということにしなければいけませんし、原発廃棄物も考えないことにしなければいけません。この2点を指摘する人や団体は、抑え込まねばなりません。

私たち国民も、打ち出の小槌を歓迎しました。どうやら、負の側面は考えなくてもいいようです。忘れておきましょう。繁栄だけを受けとりましょう・・・

ところが、史上最悪の、とりかえしのつかない事故が起きてしまいました。せっかく忘れておいたのに。考えないことにしたら、現実がそうならないのか、というと、そうではありません。当たり前のことですが、ようやく気づきました。

では、原発を全て廃止するために、電気の使用を抑えたらいいのでしょうか?

かつて、日本では、科学技術の副作用がないことにして、深刻な公害を生じてしまいました。その後、私たちは、科学の発展や、私たちの繁栄や、産業振興にブレーキをかけたでしょうか?

そんなことはありません。公害の惨禍を超えて、めざましく科学は発展し、文明生活は飛躍的に豊かとなりました。

私たちが公害から学んだのは、「我慢すること」ではありません。「責任を持つこと」です。企業も消費者も行政も、それぞれが、「見ないことにする」のをやめて、自分たちが受けとるものに対して責任を意識する。そうすることで、公害を出さない発展が創造されてきました。

現在、公害がゼロになったわけではありませんが、大気汚染、水質汚濁、騒音、振動、土壌汚染など、かなり改善しつつあります。水俣病、イタイイタイ病、喘息といった大公害は、おおむね終息しています。

私たちは、原発に、あまりに無責任ではなかったでしょうか。打ち出の小槌を受けとる一方であることを望んでいなかったでしょうか。

発展や繁栄を我慢することでは、おそらく解決しません。公害と同じように、国や東京電力も責任を持ち、国民も責任を持つ。こういう学びが必要なのではないでしょうか。

具体的にどうすればいいのか、というソリューションは、責任を持つことで創造されます。少なくとも、国や東京電力やマスコミを悪に祭り上げることでは、未来は創造されません。

私たちは、発展も繁栄も必要です。それは、責任を伴うものです。世界は、我々が学ぶことを求めています。

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