平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[076]国家の消滅

  

 

人類の歴史上、文明らしきものが誕生してから、必ず国家がありました。

国家は、個人を守り、人々を結びつけ、個人の力を大きく結合させる役割を果たす一方で、国家は巨大な力を持ち、国家どうしの争いや、国家がさらに力を強めるため国民を犠牲にして権力を集中させたり、国家の意思に反する個人の処罰など、悲しい出来事もたくさんたくさん経験してきました。

私たちは、米ソの対立を最後として、個人が自立して生きる社会を望みました。冷戦終了と同時に、インターネットが爆発的に普及し、世界を大きく変えつつあります。

先進国では、経済危機や政治の低迷や国家への信頼の低下がどの国でも起きています。

いっぽう、新興国は、爆発的な勢いで経済成長を遂げています。お金やモノや労働力は、国境を越えて、自在に移動しています。国家が障害物となりつつあります。

独裁政治の残っている国々では、インターネットに端を発して革命が起き、あり得ない政権転覆がドミノ倒し的に起きています。

既存の産業が衰退し、新しい産業が急速に成長しています。けっして、世界中が貧しくなったり行き詰まったりしているわけではありません。

私たちは、世界の政権交代を望んでいるのかもしれません。自民党から民主党へとか、アメリカからアジアへなどという話ではありません。そのような、覇権の移動ではなくて、もっと根本的な政権交代です。

それは、「国家から個人へ」

私ひとりが言っているのではありません。現に、地域社会はゆるやかにあるいは加速して消滅に向かっていますし、会社というものが数年後にはなくなるだろうと予測する人々は少なくありませんし、国家がなくなるか、役割を大幅に縮小するだろうと予測する人々も少なくありません。識者たちの発言を見ていても、そのような文脈で語られているものを多く見かけます。

かつては、「調べる」ということは、たいへんに時間も労力もお金も必要でした。20世紀に生まれた人たちは、当時のことを思い出して下さい。何か調べようとしたら、どうしますか? 図書館へ行って、たくさんの本の中から探し出す。なければ、別の図書館へ行く。または、その情報を持っている人を捜し出して、手土産持って訪ねていく。または、調べることをあきらめる。

だから、たくさんの知識を持っているということは、とても大切でしたし、財産でした。

いまは、どうですか? 調べ物は、どこにいようと、クリック一つです。時間も労力もお金もかかりません。たくさんの知識をもっていることの値打ちは、暴落です。

20世紀の情報は、限られたものが一方通行で流れるだけだったのに、今は、あらゆる切り口の情報が同時に出てきます。原発推進から、原発反対まで、あらゆるものがいっぺんに出てきます。それらは、どれもが、一面の真理を持っています。私たちは、必要な情報をすばやく見つける能力と同時に、多様な情報をもとに新しい情報を組み立てる能力が必要です。それを誰かにゆだねることは、本末転倒です。

インターネットを見てみましょう。少し前には、ポータルサイトが大流行でした。誰かがかわりに情報を整理したりさがしたりしてくれる。最近主流なのは、ソーシャルネットワークです。自分が主になって活動するスタイルです。

このようなスキルを身につけることのできる学びの場は、ちょっと見あたりません。学校は、知識の伝達です。学校の未来がどうなるか。わざわざ言わなくても見えてきます。

通貨、学校、社会保障、戦争、地域社会、会社・・・こういった仕組みは、国家が直接間接に維持してきたものです。国家が消滅に向かうということは、これら全てが消滅に向かうことを意味します。

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