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創造の力
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創造の力[078]弱き者を助けることはできるのか?昔と違い、近代文明の民主主義社会では、社会的弱者を放置しません。 今、元気に働いていても、明日は我が身。他人事ではありません。社会的弱者が守られてこそ、私たちも安心して暮らしていけます。 20世紀には、大量のモノが生産され、消費され、どんどん豊かになっていきました。人口も富も、右肩上がりでした。だから、社会的弱者を助ける余力がじゅうぶんにありました。 21世紀になって、人口も富も、頭打ち。むしろ、少子高齢化と、ものづくりの国外流出で、右肩下がりもあり得ます。 社会保障システムは、右肩上がりでないと維持できない構造になっています。 では、どうするか。どの国でも、選択肢は同じです。小さな政府か、大きな政府か。新自由主義か、社会福祉国家か。 前者であれば、社会保障費の削減(または廃止)を目指します。 予想される未来は、 どこの国でも、前者と後者がせめぎ合いをしています。でも、どちらをとっても、バラ色の未来は描けそうに見えません。どこかの国の問題ではなく、世界中の国々が、同じ問題を同時に抱えています。ということは、時代が抱える問題であり、20世紀のパラダイムが通用しなくなっている証拠です。 そして、この構造は、個人が抱える個人的な問題とも共通しています。 選択肢があったとしても、どちらもうまくいきそうにないので、どちらも選べない。つまり、解決策がないという状況です。20世紀には、何らかの選択をすれば、どうにかなったのに、21世紀には、選択のしようがないし、どうにもならない。 こういうとき、創造の力が必要です。私がイメージするインターナショナルスクールは、ただ単に、いろんな国の人たちが学び、世界に通用する力をつけようというものではありません。そのようなインターナショナルスクールは、すでにいくつも存在するし、あえて私が人生賭けて立ち上げる意味はありません。 解決できない問題に対して、道を見出すことが、目標です。 さて、社会保障の問題の場合、2つの選択肢は、同じ穴にはまっています。それは、どちらかの立場で世界を見る限り、いつまでも見えてこないでしょう。双方の立場を出て、空から広く見おろす(俯瞰する)ことが必要です。 その穴は、抜けられないものではありません。というか、その穴は、幻ではないのか。 |