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創造の力

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[079]20世紀の穴

  

 

20世紀に、豊かな社会を支えてきた社会保障の仕組みが、立ち往生しています。

市場経済にまかせておけば諸問題が解決するという、新自由主義。
皆で負担を分かちあって、社会的弱者を支えていこうという、福祉国家。

新自由主義の場合、競争が激しくなり、富が集中していくでしょう。勝者が自ら富を分配しない限り、社会不安は増大します。勝者から富を奪って、弱者へ分配することを、国家はしません。勝者の意志にゆだねられます。社会的な不安や不満から、暴動やテロや凶悪犯罪などをもたらしかねません。

福祉国家の場合、大幅な増税は避けられず、国民の経済と生活は、さらに困難になっていくでしょう。すると、社会保障の受け手(社会的弱者)はさらに増え、社会保障費はさらに増大し、さらに増税が必要という、増税のスパイラルが生じるでしょう。国家財政が立ち往生することは予想できます。

どちらかが、明るい未来を描ける「かもしれない」なら、いちどやってみればよい。でも、どこの国でも、選びかねています。選んだつもりでも、行きつ戻りつし、足踏みしています。

そして、現実は、増税と社会保障の削減という、中途半端な、痛みだけが増えていくという方向に進みがちです。

これは、いたるところで見られる現象ですね。解決できない問題の前で足踏みし、どんどん悪くなっていく。

さて、社会保障の問題を俯瞰してみましょう。見えてきませんか、両者が同じことを言っていることが。

「社会的弱者をどう助けるか」と言っています。
違いは、その方法です。増税によるか、市場経済によるか。新自由主義者でも、社会的弱者を捨てて良いとまでは言いません。市場経済が、自然と社会をうまく機能させると考えています。でも、多くの人は、市場経済をそれほど良いものだと信じてはいません。市場経済を神とは見なしていません。

ちがう選択肢があるのではないか、と考えてはダメです。そうではなくて、前提を見直すのです。

つまり、「社会的弱者は助けるべき存在か」ということです。

誤解を生みそうなので、説明が必要です。「社会的弱者を助けるべきである」という考え方は、言い換えると、「社会的弱者は助けてあげないと普通に生きられない」ということであり、「社会的弱者は社会のお荷物である」という前提があり、「社会的弱者は価値を生まない」という前提があることになります。

「守ってあげる」「助けてあげる」という考え方は、相手を無力と見なすがゆえです。

20世紀には、たしかに無力だったかもしれません。ものづくりが中心の世界で、「モノ=豊かさ」ならば、社会的弱者は、モノを生み出すことが困難ですから、社会的価値を生じず、社会が思いやりを持って、みんなで守っていこう。これで世界がまわっていました。

21世紀には、モノの豊かさだけでは不足が出てきています。幸せの手応えというか、本当の豊かさというか。たとえば、人口過密の大都市ほど疎外感を感じやすいし、過疎化の進む田舎ほど人情を感じやすい。同じように、モノが豊かになればなるほど、豊かさを感じにくくなってきています。

モノで満たされない豊かさは、誰がカバーするのでしょうか?

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