平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[080]無価値なものが価値を生む

  

 

自然界は、良くできています。

あるところで不要となったものを、別の何かが必要としています。排泄物、屍体なども、必ずそれを必要とする何かがあります。植物の体が、動物を養います。動物の体や排泄物が、植物を養います。植物が酸素を出して、動物が酸素を取り入れる。動物が二酸化炭素を出して、植物が二酸化炭素を必要とする。ありとあらゆるところに、この関係が見られます。自然界に、不要物や廃棄物や、無価値なものは、何一つありません。ほんとうに、良くできています。すべてが、完璧です。どんなに小さなものも、どんなに弱いものも、どんなに醜いものも、重要な役割があります。彼らがその役割を果たさなければ、自然は行き詰まります。他と関わりなく存在しているものは、何もありません。

人間は、どうなのでしょう?
人間は、自然ではないのでしょうか?
人間は、世界の構成要素ではないのでしょうか?
人間は人間であって、世界とは別なのでしょうか?

そういう考え方は、現実的ではなさそうだし、とても傲慢だし、たぶんうまくいかないでしょう。

人間も、どうしたって、自然そのものだし、世界そのものです。心や人生だって、そうです。出来事や運命だって、そうです。

社会的弱者は、ある立場で見れば、そうなのでしょうが、ちがう立場で見ると、ぜんぜん違う役割があるはずです。「社会のお荷物」は、「社会に価値をもたらす存在」であるはずです。

弱い者を守ってあげないといけないなどという視点は、しょせん偏狭なものに過ぎません。

「社会的弱者」は、なぜ弱者かというと、経済的な部分の話でしょう。弱者が、他の助けを必要としているのは、弱者たる理由ではありません。だって、どんな社会的な強者(勝ち組)でさえも、他の助けを必要としていますから。

どれほどお金を稼ぐことができるか、というなら、お年寄り、子ども、障がい者、病人などは、困難に見えます。

いっぽう、21世紀の世界は、たくさんの「解決できない問題」をかかえていますし、そういう問題は、ますます大きく、ますます深く、ますます複雑になってきています。社会的な強者には、このような問題を解決できません。

世界は、どこかに問題があれば、かならずどこかにソリューションが存在します。問題だけあって、ソリューションがなければ、世界は壊れます。ソリューションだけあって、問題がなければ、そのソリューションは無用物だし、世界の構成要因になれません。

人間社会が持つ「解決できない問題」のソリューションは、どこにあるでしょうか?

私たちが、忘れているところ、見ていないところ、価値がないと思っているところに、ソリューションがあるにちがいありません。

それを捨ててしまっているからこそ、解決不可能がさらにきわまっていくのです。

逆に言うと、世界は、私たちがそろそろそのことに気づくことを求めているのかもしれません。私たちは、そのことを学びたいと思っているのかもしれません。

私たちは、戦争の歴史を卒業しようとしています。1つである世界を謳歌しようとしています。世界が世界であることを、学びたいと思っているのです。なぜ、そう断言できるかというと、私たちのまわりの問題が、かつてないほど複雑になっていくからです。

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