平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

創造の力

[092]陰と陽

  

 

あなたの子どもが自由を欲しがったら、複雑な気持ちを生じるでしょう。「自由には、責任が伴うことをちゃんとわかっているのだろうか」「まだ自由は早すぎるのではないか。今の時点での自由は危険ではないか」「でも、成長し、自立へ向かうことはうれしい」

このような感情は、人間以外の動物には持てないものでしょう。

人間と動物を決定的に分けるポイントはいくつかありますが、人間は「創造の力」を自分の意思で使うことができるということが、たいへん大きな違いです。

創造の力の正体は、オカルトや呪術や魔法や宗教ではなく、世界の仕組みそのものです。

人間が世の中の現実を認識するとき、必ず、相対でしか理解できません。対になるものの存在があって理解できるのです。悪がなければ、善を認識できません。闇がなければ光を認識できません。無がなければ有を認識できません。女がなければ男を認識できません。子どもがなければ親の気持ちを認識できません。死がなければ生を認識できません。病気がなければ健康を認識できません。

そのことは、ちょっと考えてみただけでも普通に理解できると思いますが、世界中のあらゆる人類の叡智(神話、宗教、昔話、文化、体験など)が、そのことをベースにして組み立てられています。

絶対とか、普遍とか、真理とかいうものは、ほんらい、人間に認識可能な命題ではありません。それでも、人間は、そのような普遍的な真理を求めて思索し続けてきました。悟りとは、このような真理を認識し得た状態でしょう。でも、悲しいことに、悟った人が、本当に悟ったかどうか、他人には知ることができません。

この世界が、相対から成っていると人間が認識するなら、絶対とは、相対の両方を包み込んで1つにする認識になるはずです。

わかりやすく言うと、善は、絶対でもなく、普遍的な真理でもありません。現実の片一方に過ぎません。善の対になる悪とセットにして、はじめて、普遍的な真理と言えるはずです。神や仏だけでは、普遍的な真理にならないということです。かならず、対の存在、悪魔とか、魔王とか、そういう存在がなければ、現実の姿を表すことができず、普遍的な真理にはなり得ないということです。その証拠に、どの宗教でも、善と悪をセットで説いています。

悪は好ましくないものですから、なんとか対応せざるを得ません。しかしそれは、悪を否定したり、排除したりすることではありません。悪を抹消しようとすれば、善も消えます。悪へ何らかの対応をしようとすること自体が、現実をよいものへ進めていくことに他なりません。

現実を良いものへ進めていく存在は、善ではなく、悪なのです。善は、それをサポートするだけです。

私たちは、○だけ見て、×を見ないか、×だけ見て悩み苦しんだりします。世の中は、必ず、○と×が対になっています。○が認識されるなら、そこには同時に×があります。×が認識されるなら、そこには同時に○があります。

つまり、この世の中は、陰と陽とで成り立っています。陰と陽は、東洋の概念ですが、世界中で、表現を変えて、この概念が存在します。けっして、東洋だけのオリジナルではありません。とはいえ、東洋では、陰と陽という言葉で、はっきりわかりやすく表現されています。

世界は、シンプルです。陰と陽がセットになっている。それだけです。陰と陽は、具体的な形を表すものではないので、具体的な形は千差万別であり、単純な二元論でありながら、世界は無限に複雑です。

でも世界は、たった1つの原理で成り立っています。つまり、一元論です。二元論であるからこそ、一元論なのです。

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