平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[105]学ぶということの本質

  

 

私たち人間は、世界を、好ましいものと好ましくないものに分けて見ます。○と×に分けて、この世を見ています。

生きるために必要だからです。全ての生物は、×を避け、○を追って生きています。

人間だけが、世界に対して、主体的となることができます。

西洋的な○×思考は、主体的とは言えません。×を避け、○を伸ばすやり方は、人間以外の生物と基本的に変わらないからです。他の生物より、ずっと勢いよくやっているだけです。

東洋的な、調和思想も、主体的とは言えません。世界を救うこと(成長)から身をひいているからです。

世界は、もともと○も×もありません。生物には世界に○×があるように見えるというだけのことです。世界はたえず変化し、成長を続けています。全ての生物は、世界の成長にコミットしています。もちろん、人間もそうです。このような多様な世界を成り立たせている原理は、成り立っているという現実、つまり、「世界を救う」ということです。

人間は、どのように生きようとも、どれほど戦争をしようとも、どれほど環境破壊をしようとも、世界を救っています。世界を救わないという存在の仕方はできません。

人間が、世界に与える、つまり世界を救うミッションを持って生きるなら、幸せを感じることができますが、世界から奪う、つまり利己的な生き方をするなら、幸せを感じにくく、不幸を感じることが多くなってしまいます。どのみち、世界の原理に沿っているのですが、自ら主体的に世界の原理に沿おうとするか、世界の原理に反しようとするかで、世界から受けとる感じ方が大きく変わります。

世界を救うというミッションは、具体的な表現はできません。それは、学びそのものです。

何から学ぶのか?
×(苦難、不幸、悲しみ、嫌悪、嫉妬)からです。

何を学ぶのか?
その×が存在することの意味です。

科学は、出来事や自然の仕組みを説明しようとします。
宗教は、「正しい生き方」を教えようとします。

主体的に生きること、自分の道を自分で拓くことは、科学も宗教も教えてくれません。主体的に生きるということは、世界に対して自分のあり方を自分で決めるということです。

これは、なかなか大変なことです。全ての生物は、意識せずとも、世界に組み込まれています。人間も、主体的に生きるのでないなら、そうです。20世紀までの人類は、文明を大発展させたとはいえ、主体的には生きていません。

人類を含む生物は、世界を救う生き方しかできないのだから、主体的に生きるということは、世界を救う意思をもつことに他なりません。世界を救うためには、たえず、×の意味を考えるしかありません。

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