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創造の力
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創造の力[111]人事を尽くして天命を待つ自分が抱えている×の状態、つまり、不幸とか、不満とか、改善すべき課題とか、そういうものは、他との関わりにおいてのみ、解決可能です。 そのことは、依存心につながりかねません。 依存心には、2つの問題があります。 1. いくら他からの支援があったとしても、当事者が主体性を発揮しなければ解決不可能であること。 人間は、ついつい「私は無力だ」「私はつまらない存在だ」「私には何もできない」と思いがちです。それは、主体的に生きることの放棄であり、「私が人間であること」を矮小化するものです。 だったら、逆に考えましょう。なぜ、人間は、そんなことを考えてしまうのか? 必要だからです。世界が求めているからです。 人間が、難なく主体的に生きられるならば、主体的に生きるということ自体に価値がありません。苦労して勝ち取ってこそ、崇高な価値があるのです。勝ち取るというのは、他人から取るのではありません。自分からです。 20世紀の、西洋型のシステムは、「苦労して勝ち取る」ことの尊さを排除する傾向がありました。無用な苦労は避ける。だから、主体的に生きるのではなく、管理を追求したのです。 では、問題を抱えている当事者は、どうすればいいでしょうか。 主体性を発揮するには、どうすればいい? 日本には、すばらしいことわざがあります。「人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)」 システムは、確実な結果を得ることを目標としますが、現実は、そうはいきません。結果にこだわるならば、行動を小さくして、結果を小さくするしかありません。 それでいいなら、それでいい。 でも、そんなやり方ではどうにもならないこともあります。 結果が保証されているなら、「×から生じるエネルギー」は小さくなってしまいます。結果が見えないことへの行動は、恐怖です。 だから、エネルギーが生じるのです。 結果は、天にゆだねる。言い換えると、最悪の結果がでても、甘んじて受け止める。そのためには、結果に至る過程で、死力を尽くす。 まさに、「武士道は死ぬことと見つけたり」の精神です。 |