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創造の力
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創造の力[117]生命の仕事ガイア理論のジェームズ・ラブロックは、人間を含む生物を含む地球を1つの生命と見なし、ガイアと呼んでいます。 私は、ガイア理論を支持しますが、もっと拡大して考えたいです。 ジェームズ・ラブロックは、科学者ですから、このような理論が、ギリギリのグレーゾーンでしょう。科学は、再現可能性がなければなりません。「同じ手順で誰がやってもそうなる」ことが必要です。心霊体験やUFO目撃事件やUMAなどは、再現しようがないので、たとえ事実であったとしても、科学では扱えません。宗教もそうですね。宗教という社会現象や心理現象や、文献研究は、人文科学として成り立ちますが、信仰そのものは個人の内面で、人ぞれぞれなので、科学としては扱いが難しいでしょう。 科学的であるということは、多くの人に対して、説得力を持つので、大きな意味があります。 その分、制約が生じるわけですが・・・ 私は、科学にも宗教にも制約を受けないフリーな立場で考えを進めてみます。ですから、私が言うことに対する「科学的でない」という批判は、そのとおりです。 私が「創造の力」を書き続けている理由は、通常の方法でどう考えても、生きる道が見あたらない、あるいは、非常にリスクの高い道1つしか見あたらない、というとき、どうしたらいいのか。そこに尽きます。もちろん、自分自身がその状況にあるから、私が第一の当事者です。 「この先、危ないかも」というようなのんきな話ではなく、「もうあかん!」「絶体絶命」「目の前は絶壁」「万に一つも生き延びるのは無理!!」こういった状況です。これを私は「どたんば」と呼んでいます。 20世紀までは、先進国の国民たちの間で、本当の意味の「どたんば」など、例外的でした。そんな危ない目にあわなくてもいいように、国家が至れり尽くせり、高度な社会を作ってくれています。ありがたいことです。 それが、21世紀に入って、急速に弱まりつつあります。国家がなくなるかどうかはわかりませんが、今まで平凡に暮らしてきた多くの人たちが、ある日突然、気がついたらリアルファイトの荒野へ放り出される、という現実が生じてくるでしょう。というか、すでに生じつつあります。荒野へ放り出されてしまった人も、少なくありません。 そんなとき、どうする? まさに、この問いこそ、私の考えの根本です。学問や科学にこだわって、動けなくなることは、ご容赦願いたい。宗教的な制約によって動けなくなることも、ご容赦願いたい。 さて、問いへの第一歩です。ラブロックの名言を、ちょっと変えてみます。 まさにそれこそが、生命の仕事です。 |