平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

モモナナじぇーぴー

メイン
創造の力

創造の力

[122]「仕組み」と、「私」

  

 

長女が、こんなことを聞いてきました。

エジソンてね、子どものころ、先生を困らせていたんだって。
2+3は、どうして5なの?
粘土のかたまり2つと3つをくっつけたら、1つになるよって。
2+3=5じゃないよって。
んでね、先生は、「学校に来ないで」って言ったんだって。

こういう質問をされたら、どうしますか?
「屁理屈いうてんと、まじめに勉強しなさい!」って怒りませんか?
それでは、真面目な子に育つかも知れませんが、エジソンは育ちません。

エジソンが言ったことは、果たして屁理屈でしょうか?

私なりの答えです。

2+3=5というのは、現実ではなくて、「仕組み」なんだよ。
現実は、2+3=1だったり、2+3=0だったり、2+3=∞(無限大)だったりするね。
だから、仕組みと現実は、同じではない。全く別のものだ。
1+1=2と決めたら、順番に、すべての足し算の答えが決まってくるし、
すべての引き算、かけ算、わり算も、答えが決まる。
小数、分数、マイナスなんてのも決まってくる。
どんどん拡張したら、指数、対数、三角関数、微分、積分なんていう
高度な数学も、順番に決まってくる。
これが、仕組みというヤツだ。
仕組みは、すべてが順に決まってくるので、例外なんてない。
そして、どこまでも拡張できるので、宇宙の果てをうかがい知ることも
できるだろうし、生命の謎に迫ることもできる。
人間の近代文明は、「仕組み」が作り出したものだ。

結局エジソンは、「仕組み」を追求して、数々の発明を生み出しました。しかし、彼は、「仕組みとは何か」という疑問を持つことからスタートしています。つまり、現実に立って、仕組みを見ていたとも言えるでしょうか。

学校教育は、仕組みを教えます。仕組み以外の部分は、ほぼ切り捨てています。学校教育がどうか、というより、近代文明自体が、そうです。仕組み以外の部分を切り捨てています。

仕組みが切り捨てている部分て、何でしょうか?

「私」だと思います。
近代文明は、主体としての「私」を捨てて、客観のみに集中しようとします。感覚、感情、心、意思、こういった「私」は、仕組みにとって邪魔です。ましてや、霊魂や宗教や輪廻や神秘など、もってのほか。

そのいっぽう、近代文明が曲がり角に来ているというのは、多くの人が一致して認識するところでもあります。

やはり、「私」という現実は、捨ててしまえないものなのかもしれません。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ