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[142]二項対立の不毛

  

 

学校教育は、いまや制度疲労を起こしていると、多くの人が感じています。すると、学校教育を否定し、学校教育の逆が良いのではないかという考えが出てくることは必然であり、そのような実践に取り組む人も増えています。

学校教育の特徴が、徹底した管理にあるならば、管理の逆、すなわち子どもの力をとことん信じ、子どもの主体性にゆだねる教育のあり方を追求する思想が育ちます。オルタナティブ教育(非・学校教育)の多くは、このような視点に立っています。悪いことではありません。大多数の人が無批判に受け入れている学校教育は、確固たる根拠があるわけでもなく、いわば「学校教育教」という信仰に近いものでもあります。

その証拠に、あなたは、「なぜ学校に行かないといけないのか?」という問いに、答えられますか?

「そんなもん、法律できまっとる」「子どもは勉強せなあかん」「やかましい!つべこべ言わんと学校いけ!」こんな答えでは子どもは納得しませんよ。

では、子どもの自主性を第一としたセルフラーニングは、完璧な教育なのでしょうか?

どうも、そうではありません。

前回も書きましたが、セルフラーニングには、全体を網羅できないという致命的な欠陥があります。本人の関心は、全方位へまんべんなくとはなりません。なので、全体を網羅するには、管理や強制が必要です。興味のないことや好きでないことでも、無理矢理でも学ぶということです。

セルフラーニング主義者は、とにかく管理や強制を嫌います。当然でしょう。学校教育へのアンチテーゼとして進んでいるわけですから。

しかし、「アンチテーゼ」というのは、思想であって、現実の子どもたちにどうであるかは、別の話です。全体を網羅できないと、可能性を減らしてしまいます。

たとえば、スポーツでも、ランニング、体力トレーニングなどは、つらくて気が進まない取組でしょうが、こういう基礎体力づくりを避けては、思うような成果を望めません。

嫌でも何でも、やる。無理矢理でもやる。強制でも管理でも、やる。やって、やりぬく。そこに道が拓けます。

勉強も同じではないかと思います。

もちろん、強制や管理だけでは、しょせん受け身の人間しか育ちません。強制や管理で身につけたものは、主体性によって生かされます。両方がそろって、実るのです。

あれか、これかという発想では、せっかく頑張ったことさえ、生かせません。

学校教育か、オルタナティブ教育かという二項対立は、不毛であり、危険です。しかし、両者は、相反する概念です。両立は難しい。

そうかな? 難しいかな? わが家では、両方を成立させていますけど。

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