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創造の力

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[145]世界を救うミッションと、敬意

  

 

世界は、「世界を救う」という原理で動いていると、何度も書いてきました。

「世界を救う」という言い方は、たぶん、誤解を招きやすいと思います。「私は世界を救う力など無い。そんな大それたことはできない」とおっしゃる方は多いでしょう。でも、それこそ、傲慢な考え方ではないかと、私には思えます。

自分一人の力で世界を救うとすれば、そんな大それたことはできるわけもありません。

どんな偉大な人物でも、その力は微々たるものです。偉大であるのは、多くの人々と力を合わせることができたからこそです。

多くの人々と力を合わせるには、権力で強引に従えるやり方では無理です。敬意に基づく信頼関係がないと、成り立ちません。

しかし、世界を救うという原理には、反面教師という救い方も存在します。じつは、反面教師の方が、より強く救う結果につながることが多いのです。

第二次世界大戦は、人類史上最大の愚行で蛮行でしょう。敵同士で殺し合いをした間柄が、ある日突然友達になる。じゃあ、あの殺し合いは何だったのか? 死んでいった人々は、いったい、何だったのか?

その強烈な反省が、戦争を生まない世界をめざさせています。もちろん、いまなお、戦争はなくなっていません。それでも、人類は、戦争をしない世界を実現しようと、あらゆる人々が努力しています。戦争によらず、世界の問題解決をし、世界中の人々が手を取り合って生きていく世界をめざそうと、しています。そうでない人々がいることは、わかっています。戦争をしたがる人々。じつは、彼らこそが、戦争をなくそうという私たちにいまなお存在する「スキ」を指摘している存在なのです。彼らこそが、貴重な学びを与えてくれているのです。

この世界から、反面教師がなくなることはないでしょう。反面教師とは、マイナスの存在です。障害、邪魔、悪、不正、病気、災害、争い・・・

それに対し、私たちが、創造の力を使って、自分の人生を実現したいなら、世界の原理に沿った生き方をすることです。つまり、「世界を救うというミッション」をもって生きることです。

それは、「私が世界を救うのだ」などという愚かな考えとは真逆にあります。

世界のあらゆる存在に敬意を払うこと、とりわけ、マイナスの存在に敬意を払うこと。無数の人々の人生と思い。

あいつはバカだ、あいつは間違っている、あいつは悪い奴だ。それが一面の真実であるとしても、そこから学び、世界が救われる道があるはずです。それを探しましょう。それが敬意です。

ヒトラーがやったことは、どう考えても、賞賛できません。しかし、ヒトラーがあれほど無茶なことをしたこととひきかえに、私たちは尊い学びを得たのではありませんか? もし、ヒトラーの存在がなければ、その学びを私たちは得られたでしょうか?

だからといって、ヒトラーを正当化するのではありません。ヒトラーのせいで命を奪われた多くの人々の無念さ、そこにあった恐怖や絶望。あまりに忌まわしい出来事を、私たちは封印してしまいがちです。直視しましょう。彼らの思い、そしてヒトラーがこの世に生きたこと。

太平洋戦争でも、日本は、かなりの無茶をしました。アジアの人々もそうですし、日本人も、むやみに命を落としました。「敵国」であったアメリカやオーストラリアなども、多くの命が散っています。日本の戦争責任云々を言いたいのではありません。このような数え切れないほど多くの命が無念のうちに散っていった、その上に、私たちの今日があります。

彼らは、世界を救うために生き、世界を救うために死んでいったのです。それが真実であるかどうかは、私たちが今をどう生きるかにかかっています。命の尊さとは、突き詰めれば、私は今をどう生きるか、ということに集約されるはずです。世界のあらゆる命の尊さが、私の今そのものなのです。

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