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[147]原発への敬意

  

 

311までは、日本人のかなり多くの人が、原発に深い関心を持たず、なんとなく「必要なのだろうし、安全なのだろう」と感じてきたことでしょう。311以後は、それが一変し、私が知る限り、安全だと考える人はいないし、必要だと考える人もほぼいません。

極論すれば、311以前は圧倒的多数が原発賛成、311以後は圧倒的多数が原発反対です。

これは、少々危険です。人間は、強い危機感を感じると、思考停止に陥ってしまいます。その状態では、何が起きても受け入れてしまいます。

911後のアメリカがそうですね。

太平洋戦争時の日本もそうです。

原発を推進してきた人たちも、日本を壊してやろうとか、日本人を苦しめてやろうなどとは考えていなかったはずです。まあ、大きな利権に目がくらんでいたということはありそうですが。

同時に、彼らは、私たちに安定した大きな電力を提供してくれました。原油価格や供給量、供給体制、国際情勢に左右されにくい安定した電力。

それによって、産業を大きく発展させ、経済大国の地位を築き、世界中がうらやむばかりの繁栄を作り上げました。

これ、私たちが望んだものではなかったのですか?

しかし、それと引き替えに犠牲にしたものは、果てしなく大きかった。私たちの繁栄は、死に神との取引だったのだろうか?

私たちがなすべきことは、原発への嫌悪ではなく、原発を通した学びです。

賛成か反対か。そんなステレオタイプの思考は、まさに思考停止です。

原発と引き替えに得た繁栄は、欠陥がありました。繁栄が悪いのではありません。繁栄のために、必要な電力を、一点集中させたことが問題だったのではないでしょうか。

ある意味、原発は、電力の「打ち出の小槌」だったのでしょう。

現実に、いいとこ取りの打ち出の小槌など、あるはずがありません。そんなものがあると、私たちは思ってしまった。水力発電のように環境破壊を伴わず、火力発電のように国際情勢に左右されない、魔法のような原発。

原発反対の方たちは、311以前も、原発反対だったのでしょうか?

そうでなかったのは、政府にだまされたから?

なぜ、だまされたの?

だまされることを、自ら望んでいたということは、ありませんか?

自分は利益だけをとりたい。悪いことは政府が背負ってくれ。

原発を容認しろなんて言っていませんよ。私が言っているのは、思考停止の停止です。

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