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創造の力
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創造の力[149]原発は、依存の発露繁栄が欲しくて、原発に対して知らん顔を決め込んだ。 それが、今までの私たち日本人でしょう。政府のせいにして被害者ぶるのはやめましょう。311以前でも、いくらでも正しい情報を得ることは可能でした。それをしなかったのは、私たちです。 被爆国でありながら、最も過酷な原発事故を自ら招いてしまった私たちは、ある意味、放射能被害のスペシャリストです。 その学びを、世界へ還元しませんか? 悲惨な原爆体験を持ちながら、地震が多発する狭い国土に多数の原発を作ってしまいました。資源の乏しいわが国が、戦後の急成長を成し遂げるために、必要だったのかもしれません。まさに、女神と悪魔は同居しています。 そもそも、太平洋戦争でアメリカと開戦したのは、石油の入手を止められたからです。エネルギーを他国へ頼らざるを得ない国家の悲劇です。だからこそ、自国でエネルギー供給を実現しようとした原発は、太平洋戦争への反省でもあるでしょうし、理にかなっているとも見えます。 ところが、核エネルギーは、現在の人類の力量ではコントロールできません。核廃棄物の処理さえできません。放射能被害への対応(医療、環境復旧)さえできません。 原爆でそれを証明したわが国は、66年経っても何も変わっていないことを、身をもって証明しました。 では、私たちの思考の過程を検証しましょう。 石油依存は危険なので、脱石油として、原発があった。そして、原発依存は危険なので、脱原発として・・・ この思考をもう少し突っ込むと、「あなた、作る人。わたし、使う人」という構図が見えませんか? 東電、政府、原子力ムラを批判するとき、「私はどうなの?」という意識がありますか? エネルギーの消費量が問題なのではありません。エネルギー消費を抑えたところで、問題の解決にはなりません。省エネ利権を増進させるのみでしょう。 エネルギーの供給を、誰かに一任し、依存することから生じる問題ではないでしょうか? ここを解決しなければ、私たちが脱原発をしたところで、新興国は原発に頼らざるをえません。なーんにもなりませんよ、その努力。 放射能被害のエキスパートである私たちが、立ち上がらずしてどうなりましょう? エネルギーは、私たち自身の問題とすべきでしょう。 だからどうすればいいのか。私もわかりません。でも、誰かに丸投げしてしまうのはやめたいと、痛感しています。 原発の責任を他人へなすりつけ、繁栄だけ享受したいと思っている私自身の、直視したくない学びです。 |