平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[165]破滅における感謝

  

 

私は、過去に偉大な創造の力を使ってきた人々を研究しています。

彼らは、ほぼ同じことを言っています。むしろ、成功とか奇跡とか創造とかいうものは、何も新しいものではなく、昔から伝わっていることそのものに他なりません。

彼らに共通するキーワードは、「感謝」です。これは、道徳でも宗教でもありません。世界の大きな問題に挑み、解決してきた人たち、人生の困難を乗り越えた人たちの言葉です。

私たちは、彼らを偉大だと思い、私たち凡人とはそもそも違うのだと思いがちです。

彼らの学びとは、「自分は無力である」ということです。「だから、いかに多くの人々に支えて頂いているか」を実感することです。その思いは、まさにぎりぎりのどたんばやどん底においてこそ、生じます。自分の力でどうにもならないと、つくづく覚ったとき、感謝が生まれ、奇跡が起きます。

その奇跡は、神や仏がつくったものではなく、私たちの内面が招くものなのでしょう。

奇跡の正体は、「私を助けてくれる人が現れる」ことです。どたんばでの感謝は、100%間違いなく、奇跡を生じます。

これまでに創造の力を使ってきた人々は、例外なく、どたんばでの感謝を使っています。

私たちは、自分は無力であると謙遜しながら、すべての人々への感謝は持ちません。これはつまり、他人に支えてもらわなくても、自分の力で生きていけるという思いの裏返しではないでしょうか。

そのような思いと、「自分は無力である」という思い、どちらが傲慢でしょうか?

そう考えると、偉大な人ほど謙虚であり、凡人ほど偉そうにしているという滑稽な図が見えてこないでしょうか。

それにしても、凡人の私にとって、感謝は難しいです。なぜ難しいかというと、感謝がよほど大事なことだからなのでしょう。簡単に感謝できるなら、値打ちはありません。

どたんばは、一歩間違うと、破滅です。じっさいに破滅してしまう人も少なくありません。

破滅する人と、克服する人は、どこが違うか。生まれつきではありません。運でもありません。能力でもありません。力でもありません。もちろんお金でもありません。

破滅する寸前で、自分無力さを思い知ったかどうか。それに尽きるようです。

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