平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[173]対立が創造をもたらすからくり

  

 

人間はもちろんですが、世の中のなにものも、単独で存在できません。必ず、世界との関係でしか、存在できません。

「私」という存在は、存在している以上、世界に何らかの関わりがあります。人間で言うなら、生きている以上、何らかの役割があることになります。

「私なんか、生きていてもしょうがない」と考えてしまう人もいるようです。もちろん、考えるのはご自由ですが、どうしたって、人間は世界と無関係に独立して生きることなどできません。必然的に、世界と関わりをもって生きていますし、つまりそれは、役割を持っていることに他なりませんし、つまりそれは、生きる価値を持っていることになります。

ところが、その一方で、「私」は、世界にとってみると、きわめて不完全な存在に過ぎません。それはそうでしょう。完全な存在なら、世界と関わりを持つ必要などありません。不完全であることは、すなわち、世界と関わりを持たねばならないことを意味します。

だから、私と似ている人々を近くに寄せても、不完全さを強調することにしかなりません。

不完全さを克服しようという努力こそが、世界への貢献ですし、それこそが自分自身の幸せを作り出すことにもなります。もっとも、努力しても絶対に不完全さの克服は完成しません。完成したら、人生が終わってしまいます。

不完全さの克服には、対立が必要です。どたんばが必要です。つまり、安定を破るアクションこそが必要なのです。

対立は、「私にない何か」が浮き彫りにされることに他なりません。否定したり闘ったりすることが、いかに愚かか、見て取れるでしょうか。

対立こそ、成長です。未来を生み出します。

対立がなにものにもまして重要であるがゆえに、対立を難しく感じるのです。

幸せは、容易には手に入りません。だからこそ、尊いのです。

それでも、私たちは、幸せになりたい。

だったら、対立に感謝すべきでしょう。それによって、私たちは不完全さを克服できるチャンスがあるのですから。その末には、当然ながら、信じがたい至福の未来が控えています。対立からの学びは、最も崇高です。そしてまた、学校教育や行政が避けていることでもあります。私たちが、対立からの学びをなかなか得られないのは、学校や行政のせいではありません。私たち自身が、幸せになることを怖れているからです。学校や行政は、私たちの思いの投影にすぎません。

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