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[188]ホームスクーリングを通して得た学び

  

 

わが家では、ホームスクーリングをしています。

子どもは、学校へ行かないといけないと、多くの人はむやみに信じていますが、「行かないといけない」根拠はありません。子どもに学びを与えないことは許されないので、他に学びを与える方法がないなら、必然的に学校へ行かさないといけないということは言えるでしょう。

いっぽう、学校教育には本質的に問題をはらんでいます。多くの生徒を、1人またはごく少ない数の先生が、国の用意したカリキュラムに沿って「教える」ため、どうしても管理や強制が避けられず、生徒個々に合わせることもできません。生徒の関心や能力や成長のペースは無視せざるを得ません。

古くより、それへの批判は欧米にも根強くあり、学校教育そのものを否定する人々もいます。そして、学校教育以外の学びを模索する実践もさまざまに作られてきました。

学校教育以外の学びを、称して、オルタナティブ教育と言います。スクールの形態もあれば、ホームスクーリングもあります。

日本でも、オルタナティブ教育を実践しているのは、わが家だけではなく、それなりに多様な方がおられます。

オルタナティブ教育を選択する動機はさまざまですが、おおむね、学校教育への不信や不安が多かれ少なかれあります。「学校教育がダメだから次善の策で」という、いわば消極的な選択もありますし、「学校教育にとらわれず、よりよい教育を」という選択もあります。

いずれにせよ、学校教育はとてつもなく大きな存在ですから、いかにオルタナティブ教育を選択しようとも、学校教育を意識せざるを得ません。すると、オルタナティブ教育そのものが、学校教育に対するアンチテーゼとなりがちです。

学校教育の本質的な問題は、教育の主体が生徒ではなく教える側にあることです。そこからでてくる結果は、生徒の自主性が育ちにくいこと、受け身の学習となりがちであること、競争に駆りたてられること、点数の評価が絶対的なものとなりがちであること、個性を伸ばしにくいこと、集団生活が管理下でおこなわれることなどがあります。

ですから、オルタナティブ教育は、その逆を求めがちです。つまり、子どもたちが、主体性を持って生き、自ら考え、どのように生きたいかをしっかり持って、多様な人々と良い関係を作り助け合っていくこと。だいたいそんな方向性を、多くのオルタナティブ教育では求めています。もちろん、オルタナティブ教育の実践形態や手法は、じつに多種多様で、学校教育のように画一的なものではありませんが。

さて、わが家でも、ホームスクーリングを始めるにあたり、最も意識したことは、これからの時代にしっかり生きていける教育はどのようなものであるか、ということです。

これからの時代は、国家や会社の庇護が少なくなって、自分の力で生きることがより求められるでしょうし、組織のあり方も、歯車になることではなく、主体性を持って組織に参加し、積極的に貢献することが求められるでしょうし、世界中の多様な人々と深く理解し合い、協力関係を築いていくことが求められるでしょう。

その方向性は、学校教育の逆であるように思えてなりませんでした。ですから、わが家のホームスクーリングも、学校教育へのアンチテーゼとしてスタートしたのです。

が、学校教育へのアンチテーゼということは、しょせん、学校教育の問題を裏返したに過ぎず、問題解決ではありませんでした。わが家に必要なのは、まさに、「第3の案」であることに、徐々に気づいていったのです。

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