平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

モモナナじぇーぴー

メイン
創造の力

創造の力

[190]基礎学力とは、何か

  

 

子どもの自主性、主体性を重んじることは、非常に大事だと思います。わが家のホームスクーリングは、そのようにやってきて、たしかに、子どもたちの様子は、学校へ行かせたとしたときの想像と比べ、意欲も社会性も大きいように感じます。そして、日々の暮らしを、「とても楽しい」と感じているようで、活力や好奇心を大きく伸ばしているように見えます。

しかし、一方で、「基礎学力」に対する不安は、つのってきました。

学校教育では、「基礎学力」という言葉をよく使います。それは、いったい、どのようなものでしょうか? おそらく、学校教育の中からは見えにくいのではないかと思います。

自主性を重んじた学びで、どうしても欠けてくる部分です。それは、継続と、反復と、網羅です。基礎学力とは、「何を学ぶか」という内容の問題ではありません。継続と、反復と、網羅。これらは、子どもの主体的な関心からは導かれないものです。

好き嫌いにかかわらず、定められたことを、やり続ける。スポーツであれ、勉強であれ、仕事であれ、基本中の基本です。自分を磨き、向上させるには、これが不可欠です。

継続、反復、網羅は、ふつうは、面白くない。スポーツで言えば、ランニングとか、腕立て伏せとか、ウサギ跳びとか、筋力トレーニングでしょう。勉強で言えば、計算練習、漢字、各種の暗記、ドリルの問題などです。無味乾燥に見える活動です。こういう、だれにでもできるあたりまえのことを、もくもくと続けていけるか。「成功」について調べれば調べるほど、平凡で、地道なものです。なにも、特殊なものではありません。

大事なことほど、簡単で平凡です。でも、多くの人は、ちゃんとやらない。だから、あたりまえのことをやり続けた人が突出していくのです。

学校教育は、まさにこの、最も大事な部分を大事にしている教育です。

そのいっぽう、継続、反復、網羅を、意味ある何かに転じていくには、「心」が必要です。何かを達成したいとか、何かになりたいとか、何かを実現したいとか、何かを手に入れたいとか。

心をおきざりにして、継続、反復、網羅をしていっても、なかなか華開くことになりにくいです。

まさに、わが家に必要なのは、学校教育でもなく、一般的なオルタナティブ教育でもなく、第3の案なのだと、気づきました。

主体性、自主性をだいじにしつつ、継続、反復、網羅を取り入れました。

広い意味では、あらゆることが勉強なのですが、あえて、継続、反復、網羅に当たる部分を「勉強」と称し、1日の最初の時間帯に勉強をあてるようにしました。

学校教育では、勉強は時間で規定しますが、わが家では時間ではなく、内容で規定します。普通に集中してやれば、3時間程度で終わる分量です。それを何時間でやろうとも、本人次第です。早く終えれば、自由な時間が増えます。宿題も塾もありません。おもうぞんぶん、本を読もうと、ゲームをしようと、インターネットをしようと、外で遊ぼうと、自由です。

しかし、なかなか、できないものですね。長男が5年生の時、このやり方を導入しました。4年生の内容が、抽象的になるので、5年生で、5年生の内容をやらず、全科目、4年生の内容を、じっくり取り組みました。学校教育では、できないわざですね。

4年生まで、継続、反復、網羅を大事にしなかったので、長男は、苦戦しました。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ