平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[193]目標と、ミッション

  

 

ミッションという言葉は、日本人にはなじみが薄く、理解しにくいです。日本語にならない言葉です。

務め、使命、目標といった訳語が当てられますが、どうもしっくりきません。もともと、キリスト教の伝道を意味したようで、「自分がなすべき崇高な役割」といったニュアンスだと思います。

ですから、ふつうに言う「目標」や「目的」とはかなりニュアンスが違います。

目標は、自分が得たいもの、自分が達成したいことを、自分本位で語ることができますが、ミッションは、そうはいきません。

私にとって、究極の到達点です。これが人生のすべてであり、これにために生まれ、生きているのだと、自分自身が信じ切ることのできる未来像です。

そしてまた、自分本位ではあり得ません。大きく社会とか、世界の役に立ち、また、それが求められてもいること。だからこそ、何としても達成しなければならないのです。

信仰においては、神から与えられたミッションという理解もありそうですが、じっさいのところ、神が直接出てきて指示をするということはめったにないでしょうから、「神から与えられたミッション」でさえも、自分の内面の発露だと言えるはずです。

そのようなミッションは、「世界を救う」ということのバリエーションでしかないと言って良いのではないでしょうか。

自分が全力をあげ、人生のすべてをささげて、世界のために、何かをしていく。具体的な「何か」は、人によって、千差万別です。けっして一律にはいきません。

しかし、世界は1つですし、世界へコミットすることは、1つです。

世界中のどんな人が抱くミッションも、「世界を救う」という点では同じです。どんな境遇の人でも、どんなに能力が低いと思っている人でも、どんなにつまらない人生だと思っている人でも、世界を救う生き方ができます。

世界を救うという結果は、絶対に完成しません。だから、「世界を救うミッション」とは、絶対に完成しない未来像なのです。

完成しないからこそ、だれもがそれをできるのであり、どこまででも大きくなることができるのです。

完成しないのだから、世界を救うためには、これだけのことをやらなければいけないなどということもあり得ません。その人にとっての「世界を救う」ミッションは、その人のものです。

世界を救うために、日々、いろんなことを考え、いろんなことをやっています。どう考えても、世界を救うように見えないことも多くあるでしょう。

ミッションとは、具体的で個別の事柄ではないので、自分が「世界を救う」という願いを抱き続けている限り、どこでどんなことをしても、めぐりめぐって、世界を救う展開になっていくことでしょう。なぜ、そんなことになるのかというと、それが、人間の意志だからです。

私がこのように断定的に言えるのは、世界の偉大な成功者たちが共通して持っているのが、ミッションだからです。そして、私の経験からも、ミッションの力は、無限ではないかと、強く思います。

創造とか奇跡とかは、自分の外にあるのではありません。そんな、いいかげんな、ハッタリのようなものではありません。私の中にあって、私の中から生じるものです。

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