平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[200]時間の取扱説明書

  

 

私たちは、あまりに時間に無頓着です。

時間は、人間と切り離された、物理的な、機械的なものだと思っていませんか? 時計は、人間の意志と関係なく、時を刻んでいきます。しかし、時間というものは、たんなる数字ではありません。数字としての時間は、私たちに何の意味ももちません。

その時間をどう過ごしたか。そして、今過ぎゆく時間に何を考え、何をしているか。そして、やがて来る時間に何を期待するか。それが、私たちにとっての時間です。

時間とは、単に時計が示すものではなく、私たちの意志の形なのです。昨日のできごとは、それ以前の意志の反映です。今日のできごとは、昨日までの意志の反映です。明日のできごとは、今日の意志の反映です。

私たちの意志とは、私がこれまでに何度も書いてきた、「ミッション」そのものです。じつは、意識していなくても、どんな人でも、ミッションがあります。天あるいは神から与えられたと理解する人もいるでしょうが、自分自身が生まれながらに持ち、人生を歩みながら育んできたものと、理解したいです。

与えられたミッションは、「やらされている」という、責任転嫁の感覚に陥りがちです。

多くの人は、自分のミッションに気づいていません。ミッションとは、結局のところ、自分が何をすれば最も幸せなのか、という問いの答えです。それは、当然ながら、人によって異なります。しかしながら、すべての人のミッションは、大同小異とも言えます。つまり、「世界を救う」という点ではすべての人のミッションは同じなのです。だからこそ、人は理解し合えますし、協力し合うことができます。

世界をすくうために自分は何をしたいのか、という具体的な部分が、人によって異なるのです。異なるからいいのです。みなが、世界を救うために同じことをしたなら、ただちに世界は行き詰まってしまいます。

人によって、することが違います。かなり違います。まるで違います。だから、他人が世界を救おうと生きているように見えないことも多いです。そして、自分自身が世界を救う生き方をしているように見えないこともふつうです。

世界を救うとは、直接の「救済」ではありません。世界を成長させるために、何かの役割を一生懸命させて頂くということです。

誤解を招きそうですが、犯罪、虐殺、裏切り、戦争といった、許し難い行為でさえ、世界を救うことの一環なのです。そういう行為を善としたり、賛美したりするのではありません。断罪されるべきです。償いを受けるべきです。その、断罪とか償いとかいうことが、世界の成長をもたらすのです。

戦争は防がねばなりません。今ある戦争は、やめさせねばなりません。そのために、私たちは必死になります。それが、成長なのです。

「世界を救う」というパラダイムは、不可思議です。世界を救うことと対極にあることほど、強く世界を救うことになるのです。善と悪のステレオタイプでは理解できません。

私たちの過ぎ去った時間、すなわち過去も、どちらかというと、うまくいかなかったことや、つらかったこと、悲しかったこと、残念なこと、悔しかったことなどが多いはずです。なぜ、そんな過去があるのでしょうか? そんな過去だからこそ、忘れてしまいたいし、捨ててしまいたい。

いえ、違います。そんな過去だからこそ、世界を救うために生きていけるのです。そんな過去は、まさに、私たち自身の、世界を救うミッションがもたらした過去なのです。

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