平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

創造の力

[212]時間の取扱説明書 選択できない人

  

 

選択の力は、人間にのみ与えられた偉大な力です。人によって差はなく、選択の力に関しては、すべての人が平等です。

本能は、生存のために安全な方、無難な方、痛みの少ない方を選ばせます。選択の力は、あえて、安全に見えない方、リスクのある方、痛みの多い方を選ぶ力です。

これは、生存のための本能に逆らう行為です。

なぜ、生存への本能に逆らうことをわざわざするのでしょうか? 生存へ逆らうように見えてもじつはより良く生きることだからです。より良く生きるとは、自分が望む人生を全うできるということです。他人がいいか悪いか決めるのではありません。自分の望みなのです。

創造とは、生存ではありません。成長です。成長は、より良い生存なのですが、それは、たんなる生存ではありません。人間は、ただ食べて寝られればそれでいいのか、というわけにいかないのです。

ところで、選択とは、必ずしもよいことばかり選択しているようには見えません。社会的に悪いことを選択する人も少なくありません。こういう人にとっての選択って、何でしょう?

たとえば、他人を欺してお金を稼ぐとか、他人の物を盗むとか、他人の悪口を言うとか。

これは、ほんとうに、自らが望む選択なのでしょうか?

自分のミッションに沿った選択なのでしょうか?

ミッションとは、自分にとっての究極の幸せです。他人にどうこう言われる筋合いはありません。自分にとっての、究極の幸せです。「究極の」というのは、こういうことです。幸せは、単純に手に入るものではなく、いくつもの道を越えて、やっと手にできるものなのです。その過程では、幸せに逆行するように見えることもあるでしょう。1つ1つの通り道での幸せと、究極の幸せとは、異なります。

悪いことを選択する人は、じつは選択していません。短絡的に「良い」方を選んでいるだけで、本能と変わりありません。他人を苦しめることで自分が究極幸せになれるなら、そうすればいいです。ところが、かならず、このやり方で自分が究極の幸せな人生を全うすることはあり得ません。そんな実例は1つとして存在しません。

そういう方は、自分のミッションを理解しているでしょうか? 自分にとって、何が幸せかを理解しているでしょうか?

または、選択そのものを避けようとする人もいます。そういう人は、他人の言葉、他人の権威などに答えを求めようとします。自分が選択するのではなく、他人に選択させようとします。リスクを負うこと、選択に責任を持つことを避けようとします。とうぜんながら、それは自分の選択ではないので、思うようにはなりません。

または、選択しているのかしていないのかよくわからないけど、とにかく失敗ばかり繰り返す人もいます。そして、後悔ばかりしています。

こういう人たちにとっての選択とは、いったい何なのでしょうか? そもそもこういう人たちは、幸せになれないのでしょうか?

多くの指南書では、こういう生き方は幸せになれないと説いています。だから、生き方を変えよと。その発想は○×思考そのものですね。現実は○×ではありません。

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