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創造の力
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創造の力[214]時間の取扱説明書 過去を輝かせる人間は、だれでも失敗したり間違いをおかしたりします。 怠惰、エゴイズム、ウソ、欺す、いじめ、暴力、争い、責任転嫁・・・ こういうネガティブな過去を持たない人は、1人としていないでしょう。こういう過去って、どう考えたものでしょうか? 過去を否定したい人、過去を忘れたい人、または、過去を引きずる人がいます。その過去は、私たちが自分のミッションに反して生きてきたから生まれたものなのでしょうか? ここで、大事なことは、私たちは自分のミッションを意識していようと意識していまいと、または、ミッションに沿って生きようとも、ミッションにわざと逆らって生きようとも、ミッション実現に向かって人生が進んでいくということです。 ミッションへの意識が無関係なら、ミッションなどどうでも良いではないかとなりそうですが、そうではありません。 「幸せ」とは、状況が作り出すものではなく、自分が感じるものなのです。多くの人が、○○があれば幸せと考えて、それを手に入れようとします。お金とか、モノとか、学歴とか、ステータスとか、権威とか。しかし、そういうものを望み通り手に入れても幸せになれるかどうかは別問題であることは、さんざん歴史が証明していますし、身近にもありあまるほどの実例があるはずです。 なぜかというと、「幸せ」は感情だからです。感情だから、モノや権威と交換可能な価値にはならないということです。 お金もなく、モノもなく、権威もなく、それで幸せになれるかというと、なれるかも知れませんし、なれないかも知れません。自分が幸せと感じられるかどうかがすべてだからです。 何に幸せと感じるかは、人それぞれなので、自分で自分に問いかけるしかありません。他人が感じる幸せを自分も同じように感じられるかどうかは、なんともわかりません。 だから、幸せを他人と比較することは、まるで無意味です。 ミッションは、自分の究極の幸せの方向性そのものです。幸せとは、努力を重ね、挫折や失敗や苦難を乗り越え、泣いて笑って成長し、その果てにようやくつかめるものなのです。いや、正確に言うと、一生、つかめません。幸せとは、つかむことのできるものではなく、ミッションに従って生きることの日々が、幸せそのものなのです。 目の前に、苦難があろうとも、その苦難が、ミッションのためにあるのだと了解できれば、苦難が苦難ではなく、喜びに転じてしまうものです。同じ環境にあって、幸せを感じる人と、苦痛を感じる人がいるのは、そのためです。状況が幸せを作り出すのではありません。 自分のミッションを見出し、ミッションを大事に生きていると、人生の何もかもが、幸せに見えてくるものですし、大きな成長と、大きな成果が「簡単に」実現します。ほんとうは、簡単でもないのですが、苦痛を感じず、感謝や喜びを感じ続けていたら、やはりそれは「簡単」ということになるのでしょう。 ミッションは、必ず、世界を救うということのバリエーション内にあります。自分だけ、自分の家族だけ、自分のコミュニティだけ、自分の国だけというミッションはありえません。それは現実離れしていて、必ず、行き詰まります。 さて、私たちは、自分の過去を振り返るとき、ミッションを持って振り返るなら、すべての失敗、過ちが、自分自身がミッションを歩いて行く途上にあることに気づくでしょう。なんと、輝かしい過去ではありませんか。 |