平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

モモナナじぇーぴー

メイン
創造の力

創造の力

[216]時間の取扱説明書 なぜ、そんな過去が?

  

 

誰にとっても、究極の幸せは、目の前の快楽や安全・安心と違います。

短絡的な快楽・安全・安心は、結局快楽も安全・安心ももたらしません。その実例はあまりに多いので、いちいち挙げるまでもないでしょう。

「あの人はうまいことやったな」と見えても、その後すぐ、またはしばらくして「あーあ、やっぱりな」という感想につながります。そんなに他人がうらやましいなら、同じ人生を歩けばいいのに。でも、多くの人は、うらやましいと思っていながらも、同じ人生を歩こうとはしません。

それは、「うらやましいと見える状況」に対する代償が小さくないことに気づいているからでしょう。

私たちは、他人をうらやましがったり、憎んだりしながらも、けっきょく自分の人生を歩いています。自分が歩いた道は、そんなにいいものには見えず、がらくただらけ、間違いだらけの回り道に見えることが多いでしょう。

なぜ、そんな道を、歩いてしまったのでしょう? それは間違いだから、反省して、軌道修正すべきだと考えるべきなのでしょうか?

世界を救うというミッションは、解決すべき問題を必要としています。というか、現実は、問題だらけです。問題を良しとするのではなく、どうにかせずにはいられません。

戦争で苦しむ人々がいます。
飢えで苦しむ人々がいます。
環境破壊や公害がなくなりません。
貧困で苦しむ人々がいます。
人間関係の問題があります。
健康の問題があります。
経済的な問題があります。
希望を持てないという問題があります。

個人の問題も、世界の問題も、スケールは違うけど、性質はあまり変わりません。私たちが、世界を救うというミッションを持って、私たち自身が抱える問題、あるいは縁ある人々が抱える問題を必死になって解決しようとがんばります。絵に描いたような解決にはならなくても、私たちのその生き様が、他の人々に影響を与え、私たちの縁ある範囲を超えて、広がりを持ち始めることも少なくありません。1人の問題が世界の問題だと言ってもいいです。

私たちは、満足できない過去を抱えているからこそ、問題解決を志していけます。今、満足の人生であるなら、その先に何もありません。

私たちの過去は、私たち自身を、ミッションへの気づきと行動へ導くようにできています。できているというより、自分自身がそのように人生をつくってきたのです。

こういうと、宗教的に聞こえるでしょうか?

だったら、過去と未来は関係ない。過去は偶然の蓄積に過ぎないと思って、生きていってください。どうにもならないはずです。

私たちにとって、自分の過去以上の財産はありません。自分の過去を大切に信じることなくして、生きていく道はありえません。宗教であろうと科学であろうと、関係ない話です。あなたの過去は、あなたのものであって、あなたの第一の財産です。あなたを、あなたの望む幸せへ導いていく宝物です。そして、その道を歩くことこそが、幸せにほかなりません。道の目的地に幸せがあるのではなく、道そのものが幸せなのです。究極の幸せとは、ミッションを自覚して生きることそのものなのです。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ