平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[219]空間の取扱説明書 排除か、感謝か

  

 

極端な話ですが、西洋と東洋を、モデル化して考えてみました。もちろん、現実は、西洋と東洋の思想がそんなにはっきりと分かれるものではありません。あくまでも、単純化したモデルです。

西洋は、「問題」を認識し、それを解決しようと試みます。問題とは、嫌なもの、悪いもの、間違ったもの、困るものです。これらは、じつは主観的な判断です。正義とか、悪とか、善とかいうものは、けっして絶対的なものではありません。誰から見ても正義や善は、あり得ません。世界は自ら成長することで成り立っているので、必然的に世界にはたえず解決すべき問題が次々と生じることになります。つまり、世界とは、一律に正義や善を実現することが不可能なのです。

問題が主観であることじたいは、何の不都合もありません。

しかし、人間にとって、主観的であるはずの問題は、どうしても絶対的な問題に見えがちです。絶対的に見えるからこそ、どうにかして解決しようと一生懸命になるのです。ところが、その問題解決は、こっちに通用するが、あっちには通用しません。こっちからは正義や善に見えても、あっちから見ると、悪や不善に見えてしまいます。

すると、争いが生じます。そこで、正義や善を実現するには、争いに勝つことが必要であるというパラダイムが生じます。

これを行くところまで行って、地球規模の争いに発展させてしまったのが、二度の世界大戦です。

そして、米ソの冷戦時代は、さらに対立が激化し、第三次世界大戦があってもおかしくない状態が続きましたが、それはイコール世界の破滅であると、誰にでも容易に想像できましたから、現実化は回避されてきました。

私たちは、争いによらない相互理解を必要と考えるようになってきています。

たしかに、大規模な戦争の危険は減少し、戦争をしたい勢力は、テロとの戦いという、敵が誰かもわからないような局地戦に向かいつつあります。

かといって、主観的な問題を絶対的と考えるスタンスは根本的には変わっていません。

経済的な問題、つまり、格差や貧困。健康上の問題、つまり、医療制度の衰退や、医療が生み出す疾病。食糧、資源、エネルギー、教育など、どこを見ても、かつてなかったような問題が山積しています。

これらの「問題」の原因を西洋的な思想に求め、次は東洋だと言わんばかりの論調は、大きな問題です。

東洋のホーリズム思想は、そもそも問題というものの存在を生じません。「私」も「世界」も1つであるなら、どこにも問題が生じる余地がないからです。もちろん、東洋と言ったって、すべてがすべて、ホーリズム思想が行き渡っていたわけではありません。ただ、ホーリズム思想を究極の理想とか善とか見なす文化は、たしかにあったでしょう。日本でも、「道(どう)」と言われる文化、すなわち、茶道、華道、剣道、合気道、柔道、武士道、仏道、神道、修験道、その他、多くの道がありますが、いずれも、ホーリズム思想を元としていると見られます。

このような文化は、人の生きる道を求めてきましたが、物質的な繁栄はもたらされませんでした。科学技術の発明・発見も、あまり大きなものは生まれていません。むしろ、物質の追求を良しとしていません。

やはり、今の世界には、物質的な繁栄も、成長も不可欠です。現在の問題を解決するには、東洋の「道」だけでは不足です。

では、西洋的な問題解決と、東洋のホーリズム思想から、どのように「第3の案」が導けるでしょうか?

「問題」とは、悪でも不善でもなく、私たちに成長をもたらしてくれる手がかりであるという、「感謝」はあり得ないでしょうか?

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