平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[223]空間の取扱説明書 多様性への誤解

  

 

多様性というキーワードが広く使われ出したのは、ここ十数年でしょうか。

人類の歴史において、異質なものとの出会いは、共存・共生よりも、競争・戦闘により、勝敗をつけて、支配・被支配が定められてきました。もちろん、貿易や交流も行われ、すべてが勝敗だけだったわけではありません。

とはいえ、歴史上、異質な文化や民族や国家が、お互いの差異を尊重しあって共生するというあり方はなかなかあり得ませんでした。

植民地もそうですね。「オレ様の言うことを聞け。聞かねばぶっ殺す」と、これを個人でやったら強盗殺人です。

人類は、異質なものにどう対するかを、えんえんと学び続ける歴史であったと、言えるのではないでしょうか。二度の世界大戦以降、勝敗によって異質なものへ対するというパラダイムを転換しようとしつつあります。人権、自由、平等など、現実にはとても実現し得ないものの、異質な相手とうまくやっていくパラダイムを探しつつあるように思います。

まだまだ戦争がなくなったわけではありません。人間の尊厳が損なわれる事件やできごとも、あまりに多くあります。

しかし、確かに、人類は、異質なものへの対し方を変えようとしています。

そもそも、人類には、なぜ、こんなにさまざまな文化や民族や言語や国家や宗教があるのでしょうか? こういった差異が不幸をもたらすのであれば、人類は、なんと呪われた存在なのでしょうか?

そんな中で出てきた、多様性というキーワード。人類の悲願が込められているように思えてなりません。

人類における多様性を、どうイメージされますか?

自分たちと違う国の人々と、仲よくすることだとなんとなく感じていませんか?

多様性とは、従来ならば相容れず勝つか負けるかしか対することができなかったかもしれない関係のことです。それが、仲良くしようと思うだけで仲良くできるものなのでしょうか?

多様性とは、言い換えると、1つにまとまらないほどのバラバラさ加減とも言えるはずです。どうしようもないほど、理解困難で、一緒にやっていけないほどの差異。

人間に多様性があるのは、超えねばならぬ試練である。やがて、国家が1つになり、言語が1つになり、文化が1つになり、宗教が1つになる。そうして世界が1つになる日が来るまで、お互い、譲り合って、支え合って、生きていこう。そんなニュアンスを感じませんか?

いっけん、美しい正論に聞こえます。

でも、私は、それは多様性ではないと思えてなりません。多様性は負担であって、その負担を解消していこうという考えは、ある意味、危険だし、マイナス思考だし、成長をもたらしにくいのではないでしょうか。

人類に多様性があるのは、多様性じたいが、宝だからである。なぜなら、人間は、どんな天才でも、1人の能力でできることは知れています。どんな凡人でも、相乗効果を発揮すれば、すさまじいほどの成長や成果を生み出すことが可能です。そのためには、できるだけ異質な相手と協働する方が効果が高いです。

これこそが、創造の力です。

これこそが、動物にはなく、人類にしかない能力です。人類は、創造の力を見出すために、歴史を刻んできたのだと、信じたい。そして今、そこへ一歩近づいたのだと、信じたい。

日本に、すばらしいことわざがあります。

三人寄れば文殊の知恵。

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