平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[229]世界を救うミッションと、創造

  

 

世界を救うというミッションについて、ずいぶん書いてきました。

多くの人にとっての疑問は、こういうことです。「私は、世界などいらない。家族と、大切な人たちを幸せにできればじゅうぶんなのだ」

そのように考え、それが実現できていれば、何の問題もありません。もしそうなら、私の文章を読むだけ、時間の無駄でしょう。

ところが、じっさいは、そうではない。あなたは、家族と大切な人たちを幸せにしたいと願うのに、なかなかそこへ近づいていけません。身近な幸せへ近づくことが難しいので、よけいに、世界などどうでも良いと思います。すると、ますます身近な幸せが遠のく。このスパイラルに陥ってしまっている人も多いのではないでしょうか?

すべての人にとって、創造的な生き方をすることは、最も感動的な人生であり、そこに幸せがあります。創造的とは、成長です。成長とは、昨日までの私と違う私になることです。そして、大きな存在になることです。

大きな存在とは、多くの人に影響を及ぼすような生き方をしていくことです。といっても、権威やお金は、「よい影響」ではありません。よい影響とは、他の人々が、成長していくような影響です。権威やお金は、他人を萎縮あるいは退化させます。もっとも、権威やお金を正しく用いれば、他人を成長させることもできるでしょうが。

お金や権威やステータスやモノが必要だと、多くの人は考えます。たしかに、必要です。必要だから、あればあるほどよいのではないかと考えます。で、そういうものをたくさん手に入れようと、必死に頑張ります。でも、幸せは、連動していません。

自分がこれまでの人生で、どういう場面で幸せだと感じたか。文学や映画で、どういう場面が感動を呼ぶのか。お金やモノを手に入れた瞬間ではないでしょう。自分も他人も成長できた瞬間ではないでしょうか。

では、成長とは、けっきょくのところ、何なのでしょうか?

人間は、経験や知識など、さまざまなものを蓄積して生きています。蓄積した末に何があるかは、蓄積してみるまで、見えません。

かたや、人間には、神話や宗教や伝説・伝承などの形で、蓄積した末にあるであろうものを示す財産とでもいうべきものがあります。蓄積しなければわからないものが示されているので、合理的な理解を超えたものであり、科学的であるとは言えません。

しかし、現在のように、世界中でシームレスな交流があったわけではない大昔に、世界中で生まれた知恵に、共通する内容が書かれていたとしたら、どうなのでしょうか?

それは、神や仏のような超越的な存在か、宇宙人が、未開の人類に対してもたらしたものと想像するのも一計でしょう。

でも、どうも、そのような知恵に、どこから来たかが示されているように見えます。

私が得た結論は、こうです。
すべての人間には、人間としての「正体」がある。人間は、自然、あるいは世界と一体の存在であり、すべての人間は、一体の存在である。一体であろうとする力の働きが、「正体」なのだ。それを、ある人々は「神」と呼び、ある人々は「仏」と呼ぶ。

このような視点で、あらゆる宗教、あらゆる神話、あらゆる伝統文化がすとんと理解しやすくなりますし、科学技術、社会の仕組みや動きでさえ、理解しやすくなります。

そして、自分の中の「一体であろうとする働き」は、大いなる力を持ちます。一体であろうとすることは、他者へよい影響を及ぼすことと同じですし、成長をどんどん生み出すことと同じです。なぜなら、世界は、変化しない存在なのではなく、たえず変わり続ける、すなわちたえず成長し続ける存在だからです。

つまり、世界を救うミッションが、創造の力そのものなのです。

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