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創造の力
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創造の力[230]だから、人間は不完全なのだ私は、いままでに、なるべく広く多様な人類の知恵を俯瞰したところに何があるかを、調べてきました。そして得た結論は、次のようなことです。 すべての人間には、人間としての「正体」がある。どんな人間も、自然、世界、すべての人々と一体の存在である。一体であろうとする力の働きが、「正体」なのだ。 「正体」とは、自分の中にあるもの、つまり、心とか、魂とか、深層心理とか、セルフイメージとか、いろいろな言葉で呼ばれています。とくだん、私が発見したものでも、言い始めたものでもありません。むしろ、言い古された感さえあります。 あるいは、神とか、仏とか、大いなる存在とかいう言い方もあります。それらの人智を超えた存在は、私たちの外にあるのではなく、私たちの中にこそあります。外の世界に、神や仏がいると考えるなら、科学で解明されるべきだという考え方も出てくるでしょうが、「内なる存在」であるなら、そもそも実体はないのだし、科学の俎上に載せるようなものでもありません。 それはまた、『7つの習慣』のコヴィーさんによると、「内なるボイス」とか「私の中のリーダー」という表現にもなります。 「内なる存在」であれば、科学的な解明は不可能で、信じるしかないのですが、実際のところ、信じがたいことがらです。 1. 私と、世界(他の人々)は別の存在ではないか。一体とは思えない。 私が見出した「究極の知恵」は、じつは、世界中でふつうに言われていることです。どんな宗教も、どんな神話も、どんな伝承も、どんな文化も、同じことを、さまざまな方法で語っています。 この原理にたって見れば、どんな科学技術も、社会現象も、素直に理解しやすいはずです。 上にあげた、この原理に対する疑問は、集約すると、2つになると思います。 1. 世界には、悪や苦が充満している 1は外の世界の不完全さ、2は内なる世界の不完全さを指しています。 ところで、もし、私が完全なる存在、全知全能の存在であったなら、いったいどうなるでしょう? 私は、何も成長できません。すべてが可能であるなら、創造すらできません。創造しなくても「ある」のですから。だったら、生まれてきた意味も、生きている意味もなさそうです。 私の正体が、世界と一体であろうとする働きであるからこそ、私は不完全な存在なのです。著しく不完全な存在なのです。一人では、ろくなことができません。だから、世界と一体になって、相乗効果を作り出さねばなりません。一体となると言うことは、世界も著しく不完全である必要があります。 私も世界も、あまりに不完全なので、私一人で世界を救うことなどできません。謙虚にならざるを得ません。傲慢になれば、できないことが増えます。 人間にとっての、あらゆる美徳、規範は、すべて、この一点から生じているはずです。文明も、歴史も、自然も、すべてがここから生じているはずです。例外を1つでも見つけることができるでしょうか? |