平凡な人が、創造の力を使って、人生を変えるプロジェクト

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創造の力

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[233]時間、空間、禅

  

 

少し前に、「時間の取扱説明書」と「空間の取扱説明書」という連続した記事を書きました。

創造とは、魔法や想念ではなく、現実そのもののできごとです。私たちは、創造というと、現実から離れた何かを思いがちですが、決してそんなことはありません。

現実とは、時間と空間から成ります。空間は、目の前の現実、すなわち、自分の外の世界です。時間は、過去も未来も、目の前に繰り広げられる現実とは違い、自分の内なる世界です。

外の世界にせよ、内の世界にせよ、大事なことは、自分が望まないものにどう振る舞うか、ということです。そして、望まないものへの振る舞いによって、決定的に現実が変わります。

多様性とは、思い通りにならない現実のことです。時間にせよ、空間にせよ、自分の思い通りになるものではありません。その一方、人は誰でも、自分の思い通りの人生を生きています。

変な言い方ですね。

人間には、自分の正体(究極の自分)と、表に見える自分があります。二重人格のようなものではありません。ふつうに理解できることだと思います。あれこれ考え、迷う自分と、どこかへ駆りたてようとする自分。

自分の正体とは、世界の原理そのもので、世界と一体であろうとする働きのことです。以前、私は、世界の原理を、「世界を救う」と表現しました。私が、世界を助けてあげる、という意味ではありません。世界を救うとは、世界と一体であろうとすることです。

世界は、一体であろうとし続けていますが、それは同時に、一体でないからこそなのです。しかし、現実に、世界はどうしたって一体なのです。一体であるということは、世界がフラットだという意味ではありません。そんな世界は現実でないことぐらい、一目瞭然でしょう。

世界は、無限に多様なものが関わり合い、それらが常に共振(成長)しあって、成り立っています。その全体の姿は一体以外の何者でもないのですが、個々を見ると、無限に多様です。

だから、世界は一体であるが、一体であろうと働き続けているという言い方ができてしまうのです。

人間も、世界の一部ですから、一体であろうとする働きを持っています。それが、「私の正体」です。そして、一体であろうと働くには、思いや意志や行動が必要です。

だから、「表の自分」があるのです。そして、表の自分と、自分の正体はなかなか一致しません。自分の中の「多様性」です。一致しないからこそ、悩みや苦しみが生じます。

じゃあ、一致してしまえば、悩みも苦しみも無くなるのでしょうか。そうかもしれません。でも、一致はできないでしょう。一致を完成させたら、世界と一体であろうと思い、行動する原動力を失います。この世に生きている意味が無くなってしまうでしょう。

一致しないからこそ、そのギャップが、世界との一体を求めざるを得なくなるのです。

その生き様を見事に表したのが、「禅」ではないかと思うのです。

禅は、仏教をベースにしているようで、神道も修験道も、融合しています。仏教の特定の宗派に依存している考えでもありません。神道の八百万(やおよろず)の神にも通じます。宗教を超えた、日本人の魂ではないかと思うのです。

なお、ここでいう「禅」は、仏教の禅宗が言う禅とイコールではありません。広義の禅文化です。

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